1.『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き
      小泉芳孝著「大筒木出版」2012年2月(平成24年)発行
   定価6000円+税→博物館特価5000円(税込)
A5版 447ページ 
   
 (本の郵送料500円と消費税含みます)郵便振込のみ5500円
 
        
 

はじめに
 
 『竹取物語』は、平安時代初期貞観後半(八六九)から延喜前半(九〇五)の九世紀末に出来たもので、現存する限り日本最古の純物語文学
作品とされている。平安時代の日本は、中国の洛陽や長安をモデルに國と文化を形成していった。
 その中には文学も含まれ、遣唐使や遣使らにより中国の文学が日本に輸入されてきたと考えられる。
『源氏物語』の中でも「物語の出で来き始めの祖おやなる竹取の翁」と記されており、紫式部の時代から同様の認識があった。『竹取物語』は、
作者不詳、題名不詳の物語であるが、当初「竹取の翁の物語」などと略して『竹取物語』と呼ばれるようになっていった。
 平仮名で書かれた最初期の文学でもあるが、初めは漢文(片仮名交じりの宣明体)で書かれていたものが、書き直されたのではないかとされ
ている。
 これまで、『竹取物語』の研究や考察は、実に多岐の分野にわたっている。国文学者をはじめ歴史学者や民俗学者それに児童文学者さらに
作家にいたるまで、物語についての考究、発言が国内外で行われている。
それは『竹取物語』が、内外の貴族批判・超能力・怪奇現象、異国趣味、求婚活動など、世間に古くから伝わっていた話や伝承を取り入れるなど、
物語として引き込まれる要素があり、現在の私達にも通ずるものが多く光り輝いているからだと思われる。
 そして、現在では中学校の国語の教科書にも収録されており、古典文学に関心のない人でも「今は昔、竹取の翁といふものありけり…」で始ま
る物語の冒頭は記憶にあるのではないだろうか。このように物語の成立から現在に至るまで『竹取物語』は、絵本、現代語訳、児童書などの多
様な形式で長い間つづけてきた。
 『竹取物語』は、致富長者説話、求婚難題説話、昇天説話、羽衣説話、地名起源説話、仏生説話が取り込まれていることに特色が有り日本最初
の小説と言われる文学作品である。この本は、各地の伝説や物語の持つ特色など、あらゆる分野から解析を試みながら作者が何を表現したかっ
たのか、また物語の中で巧みに場所を使い分けており「何処を舞台に設定したのか」などを分析しながら物語に登場する様々な項目について考察
を重ねて来たのを私なりに論じてみた。
 「かぐや姫」の名が登場する最古の資料は『古事記』であり、また「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の女むすめ、迦かぐやひめのみこと
具夜比賣命を娶めして、生みませる御子、袁耶弁王」との記載がある。また、『万葉集』巻第十六には「昔老翁ありき。號を竹取の翁と曰ひき。此の
翁、季春の月にして、丘に登り遠く望むときに、忽に羹を煮る九箇の女子に値ひき」というように、「竹取の翁」の名が登場する。
これらは『竹取物語』よりも成立年代が前になり、直接の関連は無いにしても、何らかの影響があるのではないかという空想が広がる。 
 『竹取物語』は、平安時代初期にできた日本最古の物語で、ある日竹取の翁が竹の中にいた光り輝く三寸余りの少女を授かり「かぐや姫」と名
づけて育て成人する。そして五人の貴公子から求婚を受けるが無理難題を出して次々にしりぞけ、時の帝の求めにも応じず八月十五日の夜に月
から迎えが来て昇天するという求婚・昇天説話である。
 物語の最初は、
   いまはむかし、たけとりのおきなといふものありけり。野山にまじりて、たけをとりつつ、よろづのことにつかひけり。名をば、さかきのみやつこと
なむいひける。とある。
 
 『竹取物語』の発祥地説については論争が続いているが、私は竹取の翁がいたのは、京都府京田辺市ではないかと考え、平成三年度発行の
『筒城』第三十六輯に「山城国綴喜郡山本駅と古代駅制について」の中で少し書いた。その後も研究を重ねるうち、『古事記』垂仁記に「大筒木垂根
王の女、迦具夜比賣命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比賣命」が記されていて「かぐや姫」は実在の人物であったことがわかり、京田辺
が『竹取物語』の舞台となった発祥地であり「かぐや姫」伝説地という結論に達した。
 研究当初は、自信なかったが、シンポジウムを開催した時に会場に来られていた日本語源研究の第一人者の吉田金彦代表から『古事記』の「大筒
木垂根王」の娘「迦具夜比賣命」は、『竹取物語』のかぐや姫で「竹取物語の舞台」が京田辺であると励まして頂いた。また、パネラーになって頂いた
国文学の曽根誠一教授は、大筒木垂根王の「大筒木」こそ翁の家のモデル地であった可能性が高いと『筒木』に投稿、平安京に詳しい京都産業大学
の井上満夫名誉教授からは、「かぐや姫を考える会」を作ったらと言う提案を頂き、考古学の権威である森浩一名誉教授からは、「京田辺は『竹取物
語』が熟成した場所として自信を持っていい」と京都新聞社主催の基調講演で、竹取物語のルーツとして「京田辺市は自信を持って『かぐや姫の里』と
言っても何ら学問的に不思議はない。この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないか。」と
述べて応援して頂いた。
 また、京都府立大学長で文献学の第一人者の故門脇禎二名誉教授からは、山代の筒木は、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住してい
て大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王の時代に「迦具夜比賣命」がいて実在の皇后であると後援会で発表された。その後に、私の著書
『稲作民俗の源流―日本・インドネシア―』を読まれて「貴方の研究は地域に出向き調べられて発表されており脱帽です!」という手紙を頂いた。この他
にも沢山の先生方や友人らの励ましの言葉や応援があってここまで続けられたのである。
 その後、私は、会社の定年を迎えて再度出版に取り組もうと目次を考えるが体調不良と老眼も進み集中力もなくなり進まなかった。しかし、地元を始め
全国紙の新聞社や雑誌『エプタ』Vol.23「日本昔話の世界」で、かぐや姫発祥地としてトップで取り上げられ励まして下さり、私が生きている内に完成さ
せなければ消滅してしまうと思いまとめたのがこの本である。 
中身は、京田辺説を中心に様々な分野から解説しており、物語に親しんで頂けるよう原文と注釈それに現代語訳を挿入して楽しく読めるように工夫した
。作者像については、当初、紀長谷雄のみを考えていたが最近空海説に出会えて急遽追加する事にした。また、読者によっては、最初から読まなくても
判るように工夫したので同じ内容が時々出ているがお許し頂きたい。この他、少しでも皆さんに古典に親しんで頂けるよう各所で工夫しており、読者の
皆様に新発見や何かの役に立てたならば幸いである。文中第七章の「インドネシアの民話」部分では、中口ひとみ氏に御協力頂き、「中国の『後漢書』
『華陽國志』『群書礼記』から」は、私が中国で入手した漢文の翻訳もお世話になった。
物語の原文等や校正については、古川・臼井両氏と出版社のに、作者像については、青井・川野氏にお手伝い頂き、さらに、影で支えて下さったり、色々
と励まして頂いた皆様があってこそ完成したのであり感謝にたえません。この紙面を借りてお世話になった皆様にお礼申し上げます。 
   平成二十四年一月   芳泉庵にて 小泉芳孝 「大筒木出版」
  
凡 例            
一、本書に挿入した原文は、『最新国文解釈叢書・竹取物語』山岸徳平・田口庸一著(株)法文社(昭和二十九年三月一日初版発行)の原文を元に、漢字
を多数入れて振り仮名と送り仮名を付け加えて意味がわかりやすいように工夫した。(本編での原文引用は、なるべく上記本のままとした。)
一、原文の上記本は、古本と言われる正保三年(一六四六)刊本を底本とし、校本には新井信之の『竹取物語の研究』、古典文庫、群書類従及び山岸文
庫本を使用しており、これを基本に作成。現代語訳は、出来るだけ直訳を心がけ作成している。
一、古典文学に少しでも親しんで頂けるよう「原文の読み」については、平安初期の発音を反映する表記とするために歴史的仮名遣いにしたがった。この
為、意味が通じなくなるので「濁点」を付し「漢字」を多く取り入れた。
漢字は現代当用漢字に努め平安文学に親しめるよう振り仮名を付したが慣用に反するものや例外もある。
一、文章の区切りは、中身を判りやすくするために細かくして、話し言葉に括弧を追加して読みやすくした。また、場面が大きく転回するごとに内容を要約
した見出しを付け、原文の後に「注釈」として「※」印を付して記入し、さらに、現代語訳と解説をつけた。特に解説が必要ないと思われる所は、省いて後に
まとめて挿入した。解説については、本文と少し重なる所も見られるがなるべく同じ文章にならないよう工夫した。

 一、「※」印の注釈は、なるべく簡単に表示し、「竹取物語高松宮蔵」(新典社版原典シリーズ六編者 片桐洋一)等を参考にさせて頂いた。
 一、本書は、先輩諸家の注釈・現代語訳・研究に負って成ったものである。謹んで謝しお礼申し上げます。

はじめに
 目次 『竹取物語 現代考』
        原文・注釈・現代語訳・解説付き
はじめに
凡例
          
第一章竹取物語の構造と成立
 
  一、『竹取物語』のあらすじ
  二、構造と成立について 
     物語と古伝承/構造と成立/構成と古伝承・説話/竹取物語の元のかたち 
     (『今昔物語集』『万葉集』『遊仙窟』『風土記』『海道記』など)
  三、『竹取物語』の原型 
     (竹中生誕説話・化生説話・致富長者説話) 

  「原文・はじめに」?本文?(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (1)かぐや姫の誕生  
      @かぐや姫の誕生
    (2)かぐや姫の生い立ち
      Aかぐや姫の成長 
      B竹取翁の富裕長者

  四、竹取翁とかぐや姫は誰か 
    (『古事記』『海道記』『源氏物語』など)
      竹取の翁像/かぐや姫の姿 / 『古事記』と『日本書紀』の記載
第二章竹取物語の発祥地説について―地名起源説話から―     
     日本・中国・インドネシアの竹文化圏に良く似た「竹誕生」
  一、はじめに 
  二、迦具夜比賣命の大筒木(京田辺市)の発祥地説 
      『竹取物語』の舞台は京田辺/朱智神社と息長氏/継体天皇の筒城と磐之媛の筒木
  三、奈良県広陵町の発祥地説 
  四、富士市の発祥地説
  五、中国の発祥地説 
  六、その他の発祥地説 
     原型を探す試み/西方の月女神/隠匿された都/万葉の竹取の翁/斎王説
  七、「かぐや姫サミット」の七市町村 
    @静岡県富士市 
    A奈良県広陵町 
    B京都府向日市
    C香川県長尾町  
    D岡山県真備町 
    E広島県竹原市
    F鹿児島県宮之城町

第三章『竹取物語』の舞台は筒木(京田辺市)
  一、大筒木の地名と竹 
     山代の筒木(綴喜)地名/息長山普賢寺の竹送り
  二、「竹取の翁」の家は、「山本」の近く 
     古代駅制「山本驛」/佐賀冠者跡/大友皇子が縊死した「山前」/天女伝説地「鶴澤の池」
  三、翁の人物像から見た発祥地説 
     @「さるきの造」讃岐説 
        讃岐神社の広陵町 
     A「さかきの造」筒木説 
     (古本) 
       翁の名は名「さかき」/翁は、駅長・太夫か 
     B「讃岐の造」と「筒木」(綴喜)説  
       舞台は大和/讃岐と筒木 
     C富士市に登場する翁像
  四、かぐや姫は『古事記』の「迦具夜比賣命」    
     『古事記』の「迦具夜比賣命」/『普賢寺之遺跡』に「大筒木垂根王」の墳/
     『万葉集』『古事記』『日本書紀』の見方
  五、「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」 
     人物像/かぐや姫の罪/コノハナサクヤ姫

第四章『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物(求婚難題説話) 
   一、五人は「壬申の乱」の功労者 
    本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
     (3)妻問い 
      C貴公子たちの妻問い 
      D熱心な求婚 
      E翁のくどきと姫の条件
      F貴公子に示された難題
         キトラ古墳の被葬者「阿倍御主人」/高松塚古墳の被葬者「石上麻呂」/ 
         さまざまな被葬者論について/石上麻呂という人物

第五章かぐや姫が出した「難題」と帝の「求婚」 
   一、求婚者への「難題」(求婚難題説話) 本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (4)貴公子たちの求婚 
      @石作皇子には「仏の御石の鉢」 
        G石作皇子と仏の御石の鉢 
      A車持皇子には「蓬莱の玉の枝」  
        H車持皇子と蓬莱の玉の枝 
        Iにせの玉の枝を持ち参上 
        J皇子の冒険作り話 
        K蓬莱山を発見 
        L玉の枝を持参 
        M匠の暴露と訴状 
        N姫の勝利と皇子の蒸発 
      B左大臣阿倍御主人には「火鼠の裘」 
        O阿倍御主人と火鼠の裘 
        P商人に騙されるお人好し 
        Qにせの火鼠の裘 
        Rかぐや姫、燃えない証拠をせまる 
        S燃え上がる裘
      C大納言大伴御行には「龍の首の玉」
        大伴御行と龍の首の玉 
        夢見る大納言と、家来たち 
        玉の捕獲に乗り出す大納言 
        荒れる海と雷鳴 
        明石に漂着した大納言 
        かぐや姫を人殺しと喚く 
      D中納言石上麻呂足には「燕の子安の貝」 
        石上麻呂足と燕の子安の貝 
        作戦の失敗と智恵者官人の出現 
        智恵者官人の極意皆伝 
        貝をつかんだ中納言の籠が墜落 
        燕の糞を握り気絶する中納言 
        死んだ中納言をあわれむ かぐや姫
         『今昔物語集』と『竹取説話』の求婚難題譚比較/貨幣として使われた宝貝/
         中国?王国の青銅器「貯貝器」

二、帝の「求婚」(帝求婚説話) 本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (5)御狩の行幸・帝の求婚 (求婚説話) 
      33 帝の御使いに背 く
      34 献上なら翁に五位授ける 
      35 宮仕えなら死ぬと申す
      36 帝の御狩り行幸 
      37 姫に情を込めて御文通

第六章 かぐや姫の昇天と不死の山(羽衣昇天説話・地名起源説話) 本文?(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (6)かぐや姫の昇天  
      38 月を見てかぐや姫の告白 
      39 八月十五日に月から迎え 
      40 竹取翁の家に武官二千人
      41 かぐや姫お別れの挨拶 
      42 月からの使者 
      43 かぐや姫の罪を告白 
      44 不死の薬と天の羽衣
      45 帝の手紙とかぐや姫の昇天
    (7)不死の山と煙 
      46 不死の薬と駿河の不死の山    
     (本文、おわり)                 

第七章天孫降臨と竹民族の源流考 
   一、日本の羽衣天女伝説地(羽衣説話)  
      「三保の松原」の羽衣伝説/余呉湖の羽衣伝説/「奈具の社」の羽衣伝説/
      鳥取県中部に伝わる羽衣伝説/沖縄県宜野湾市真志喜の「天人女房」
   二、日本の七夕伝説地   
      交野が原
   三、『竹取物語』の仏生説話   
      求婚者の難題物/昇天の「阿弥陀来迎図」
   四、日本神話と先住民族「隼人」の天孫降臨神話   
      熊襲と隼人/「隼人」の文化/「隼人」の天孫降臨神話/甘南備山の月信仰/九州隼人の月信仰
   五、「大住隼人」などの隼人舞 
     復活奉納した隼人舞/能楽五座のうち四座は、京田辺発祥地
   六、不老不死の神仙思想   
       飯岡トヅカ古墳出土の青銅鏡 ―絵柄に不老長寿薬と飛天の歌舞― 
         @不老長寿薬と飛天の歌舞を描く 
         A不老不死の長寿薬と車馬を描いた「神人車馬画像鏡」 
         B飛天と天女の歌舞を描いた「神人歌舞画像鏡」 
         C西王母と神獣を描いた「変形一神四獣鏡」
       中国古代の神仙世界 
          崑崙山に棲む西王母/西王母の不死薬/中国の月現象  
       月の都は不老不死 
          月と地上界との死生観/天女の不死薬と姫の手紙
   七、竹の特性と神秘性    
       竹の霊力と特異性/『竹取物語』に見る霊力や呪力/竹と月の霊力/神の依代/
       物語での竹利用 /竹の豊穣・結界・繁栄/竹の効能と特性/文化遺産と  しての竹製品

第八章類似する海外の『竹取物語』 ―インドネシア・中国―
   一、インドネシアの民話 
     @「パクリの領主(竹の王子と娘)」スラウェシ 
     A「竹薮の姫」東カリマンタン 
     B「ジャカ・タルブ(タルブ村の天女)」中部ジャワ 
     C「シアウ島の首長ビキビキ」シアウ島  
     D「天国の王女と結婚したみなし子」中部スラウェシ 
     E「ママヌアとウラセンドウ」 
   二、中国の『後漢書』『華陽國志』『群書礼記』から 
     @『後漢書』西南夷・夜郎傳 
     A『華陽國志』  
     B『群書礼記』 
   三、中国カム地方の「斑竹姑娘」(バンチュウクーニャン) 
     @「斑竹姑娘」の概要 
     A求婚難題譚の比較

第九章日本人の手になる『竹取物語』 
  一、かぐや姫 
    出生の秘密を打ちあける 
  二、天女の「飛天像」と神仙の「不死薬」 
     飛天は、天上と地上を飛翔する「使い」/飛天像の変遷と神仙の西王母/
     富士市の竹取伝説と羽衣伝説/『万葉集』の竹取の翁と天女 /「月」と「地上」の経過速度 /
     『竹取物語』は、月から迎えがきて昇天/朱智神社本殿から飛天像発見
  三、不死の山は何処か(昇天説話)  
     駿河の「不死(不老長寿)の山」/天孫降臨の甘南備山/都に近い平安京の南基点「甘南備山」
  四、『竹取物語』京田辺説の根拠

第十章竹取の作者は誰で、成立年代は何時か  
  一、竹取物語の文学性と文体について  
  二、作者の諸説について   
     源隆国説/源順説/源融説/森浩一・塚口義信の隼人説
  三、紀氏系豪族説  
      紀長谷雄説  
  四、空海諸説
      雨海博洋説 
  五、空海説 
     @遣唐使でインド直伝の密教学ぶ  
     A空海説の根拠 
      大和国十市の山寺「佛の御石の鉢」/久米仙人の神仙思想/湯浴の開湯伝説「蓬莱の玉の枝」/
      大伴御行の「龍の首の玉」
     B空海は文学者・書家・教育者  
       空海の実績/空海の観音信仰と罪の祓え/空海の密教と『竹取物語』/仏教と神道の死後観/
       嵯峨帝の平安時代も舞台/真言密教儀礼と「不死の薬」「姫の誕生」/
       空海の神仙道と不老不死/空海が果たした最大の成果
     C作者は、弘法大師(空海)か  
        空海とユダヤ教 
おわりに  
参考文献
「竹取物語の舞台が京田辺市」に賛同頂いている先生の紹介

おわりに から

 この日本初の小説でもある竹取物語をさまざまな角度から論述してみた。しかし、究極のところ、作者はこの物語で何を伝えたかったのか を考察する
必要がある。二十年間にあたり、『竹取物語』の里(舞台)は京田辺ではないかと考えて調査研究したのであるが、今ようやく 現段階でまとめて、ふと
振り返ってみたところ、作者はこの物語で何を伝えたかったのかを考えてみた。
 私は今まで人間愛の場面が次々と展開するので、それらのストーリーに惑わされて、じっくり見つめることができなかった。私は妻を亡く して四年たっ
てみたときに、かぐや姫とは「自分の妻のことを書きたくて作者が筆をとった・・・」のではないかと思われるのである。
 たしかに翁はおじいさんであり、子供がいないために突然幼児が竹の空洞から授かり大事に育てる。
しかし十五夜の満月の日に月から迎 えがきて去ってしまう。主人公はかぐや姫であり、翁は物語を展開さす脇役である。ならばかぐや姫は「何者ぞ?」
と考えたときに夫にと って一番大切なのは「パートナー」であり「妻」であり、その妻そのものが「かぐや姫」と考えられるのである。 
 物語の中では翁夫妻の幼児として育てる。しかし「かぐや姫」のみを考えた場合は、最愛の妻であるべきなのである。
 夫婦はどちらかがいつかは死別する。その妻が先にあの世に旅だったさまを「極楽浄土図」のごとく天女とともに飛車に乗って月(あの世)へ帰っていく。
そしてあの世(月)の不老不死の世界でいつまでも輝いていてくれるように仏の慈悲が描かれているのである。本来なら天女伝説のように子供を産み、
その後羽衣を見つけて帰って行くのであるがあえて『竹取物語』の作者はその方法をとらずに誰とも結婚しなかった。
これについては何故なのか未だに誰も理由がわからず「月で罪をおかしたから」と一言あるだけである。このあたりは作者の腕の見せ所と考えられる。
私はこの「竹取物語 現代考」を亡き妻の墓前にかかげるために数十年にわたり研究し続けてきたのではないかと、今思えるのである。

〈著者紹介〉
小泉芳孝
(こいずみ・よしたか)
1947生まれ
京都府立城南高等学校卒業
日本写真専門学校卒業
近畿大学法学部卒業
佛教大学文学部(史学科)卒業
現 職 竹取翁博物館館長
    大筒木出版代表
    学生マンション「スカイハイツ三山木」オーナー
職 歴 大阪映画(株)撮影部
   (株)京都放送(KBS京都)
所 属 城南郷土史研究会会員
諸団体 京田辺市郷土史会理事・京都地名研究会常任理事・
    京都民俗学談話会会員・京都府立山城郷土資料館会員
    などを歴任
専 攻 日本民俗学 郷土史 古代史 法律学
著 書 『稲作民俗の源流 ?日本・インドネシア-』
共 著 『京都の地名検証』『京都の地名検証2』
    『京都民俗』『筒城』ほか投稿
資 格 法学士 文学史 博物館学芸員 潜水士 PADIライセンス アマチュア無線技師 
E-mail koiy@leto.eonet.ne.jp
H P http://taketori.koiyk.com 


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竹取物語』と「綴喜」ノート
  ―構想時のモデル地である可能性―
曽根誠一
   2012年度より 国際かぐや姫学会「Top」 に偏向になりました。『竹取物語』研究所 竹取の翁
注」
この原稿は、京田辺市郷土史会の機関紙『筒城』2002年3月30日発行の為、各所に「注」で最新情報を入れました。

河川のある部分をクリックして頂くと詳細が「ホームページ・YouTube」で御覧になれます。

      
 一  物語の舞台は筒木で京田辺市
 『竹取物語』は、いうまでもなく虚構文学作品である。歴史的事実として、過去のある時点で実際に起こった出来事を記した作品ではない。
だが、だからこそというべきか、物語は、過去の伝聞を表す助動詞「けり」を用いて、過去のある時点で実際に起こった出来事を語るのだと
いう形式を騙って語られる。すなわち、虚構であるが故に、事実あった出来事を語るという形式を取って、真実性の賦与を試みるのである。
 この具体例として、五人の求婚者の名前の問題を指摘できよう。夙に、加納諸平が『竹取物語考』(竹取物語古註釈大成 日本図書セン
ター 昭和54)で指摘しているように、『竹取物語』の五人の求婚者名と壬申の乱の功臣とに名前の一致が見られることは、留意される。そ
れを記せば、次の通りである。
  石作皇子 ― 丹比島
  庫持皇子 ― 藤原不比等
  阿部御主人 ― 阿部御主人
  大伴御行 ― 大伴御行
  石上麻呂足 ― 石上麻呂
 石作・庫持の両皇子の比定には、詳しい説明を必要とし、その詳細は、諸平『竹取物語考』について見ていただくことにして、今は、この二
人の皇子の名前は、難題の品「仏の御石の鉢」との関連から「石作」となり、「蓬莱の珠の枝」が金銀・真珠からなる高価な品物であることか
ら「庫持」となったという指摘に留めておきたい。
 また、名前がほぼ一致する残る三人の求婚者名については、片桐洋一氏(『新編日本古典文学全集 竹取物語他』解説 小学館 94年)が
指摘するように、『竹取物語』執筆時点までには没落してしまった氏族であり、彼らの難題入手の失敗過程を描くことによる政治批判に、如何
ほどの意味があったのであろうか。むしろ、彼ら壬申の乱の功臣三名の名前は、『竹取物語』の時代設定が奈良時代であることを明確にする
ために、意図的に用いられたのであろう。
 これ以外に、『竹取物語』の舞台設定が奈良であることを明確に証明するものとしては、次のような記述がある。
 @名をば、讃岐の造となむいひける。(17頁、新編日本古典文学全集)
 Aこの子いと大きになりぬれば、名を、三室戸齋部の秋田をよびて、つけさす。(19頁)
 B…三年ばかり、大和の国十市の郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるを取りて…。
    (25頁)
 @は、かぐや姫の養父となる竹取の翁の名前であり、「讃岐」は、氏族名称か地名のいずれかということになる。本文的にも、紹巴奥書本
では「さるき」(注」「さぬき」に同じ。「ぬ」は「る」に音訛すると一部の国ブナ学者や大手出版社は記しているが、歴史学者からはこじ
つけで「その節は消えた」とされている。

)、天理図書館武藤本では「さかき」とあって、分かれている。そこで、大和国にこの地名を捜すと、「広瀬郡散吉郷」(北葛城郡河合町)に
想到する。ここには、讃岐神社(延喜式)があり、ここを以て竹取の翁の居住地とするのが、従来の通説であった。(

注」しすし、京田辺説が出てきて大手出版社説が消えてしまった。)

 Aは、かぐや姫の命名を「三室戸齋部の秋田」がしたというのだが、秋田の居住地「三室戸」については、新編日本古典文学全集本が指摘
するように、『万葉集』九四番歌の「玉くしげ みもろの山の」について、「或本の歌に曰く、玉くしげ 三室戸山の」とあり、「ミムロトはミモロの
在る所」(新編日本古典文学全集『万葉集』)の意とすると、「三室戸」も「みもろ」と同じことになり、三輪山(注」宇治に「三室戸」があり、
そこに忌部氏がいたので、ここが通説になりました。)
を指すのであろう。
 Bは、求婚者石作皇子が、かぐや姫には天竺に「仏の石の鉢」を取りに行くといって、実は「十市の郡」の小倉山に隠れていたというのである
。偽物の「仏の石の鉢」を、その山寺から調達したというこの叙述で気になるのは、『竹取物語』の舞台が大和国であることは、既に明らかであ
ると思われるのに、「大和の国十市の郡」と記していることである。物語の舞台が大和国であることを読者に意識させようとすれば、むしろ「大和
の国」を省略して「十市の郡」とのみ記した方が、平安京に居住する読者には、効果的であったろう。(

注」「十市の郡」は難題の「インドのみいしの鉢」で出てくるだけであり、本来舞台は『竹取物語』が漢文で書かれた平安時代の初め嵯峨天皇
の頃を想定しているのである。
従来説は現存している『竹取物語』が「崩し字のひらがな」だったが、、良く読むと本来は漢文で書かれていた
ことが判明している。故に、弘法大師・空海説となつたのである)

 それ故に、「大和の国」は、元来「十市の郡」(磯城郡の一部)の右に記された「傍注」であり、それが本文化した可能性が高いのではあるま
いか。
 以上、『竹取物語』中の地名乃至それに準ずる三例を通して、物語の舞台が大和国であることを述べた。これは、既に定説化していることで
あり、今後ともにこれが変わることはあるまい。
(「注」その後の調べで、5人の貴公子は壬申の乱で登場しているが、古事記に記す「かぐや姫」の父に「大筒木垂根王」がいて京田
辺市普賢寺に古墳があり、古文書も代々伝えられた物もあり、「舞台が京田辺」だと言うことが判明した。故に、大手出版社が記して
いる内容は間違っていることが判明した)

しかしながら、次節で述べるように、『竹取物語』の登場人物名を検討する時、この問題については、もう少し別の角度から捉え直すことが
できるように思われるのである。      

 二 かぐや姫と「さかきのみやつこ」と「筒木」(綴喜)
 かぐや姫という名前が命名された理由は、月の都から追放された光り輝く姫君であることによるのであろうが、この名前の出典を最初に指摘
したのは、契沖の『河社』(契沖全集第十四巻 岩波書店 74年)であり、次のようにある。
  かくやひめの名は、古事記垂仁天皇段云、又娶大筒木垂根王之女迦具夜比賣、生御子袁邪弁王。これをかれる歟。 これを承けた田中
大秀『竹取翁物語解』(竹取物語古註釈大成 日本図書センター 昭和54)は、更に、次のように記している。
  この指摘は、野口元大氏校注の日本古典集成本『竹取物語』(新潮社 昭和54年)でも、次のように継承されている。
   この系図を眺めていると、いろいろな連想に誘われる。事はただ「かぐや姫」という一名辞だけの問題ではないように思われてくるのであ
る。まず、カグヤヒメの叔父の大筒木垂根王の娘なら、竹の筒から生れるという想像と結びつきやすいのではないか、そして、その先祖は
竹野媛なのである。(中略)   なお、ここの大筒木垂根王以下三人の名は、『日本書紀』の方には見られない。作者は『古事記』によって
迦具夜比売の名に逢着したと考えるべきであろう。
 この解釈は、雨海博洋氏訳注の旺文社文庫本『竹取物語』(80年)も、首肯している。 すなわち、かぐや姫と讃岐の造の名前が、『古事記』
に基づいて命名されたと考えられる時、竹取の翁の家が構想の当初から広瀬郡散吉郷に設定されていたと考える蓋然性は、低くなるのでは
あるまいか。むしろ、迦具夜比売の父である大筒木垂根王の居住地である「大筒木」こそ、構想時点でのモデル地であった可能性が高いの
ではあるまいか。
 「大筒木」の所在地については、『古事記』中巻・開化天皇条に「又其の母の弟袁祁都比売命に娶ひて生める子、山代の大筒木真若王
(新編日本古典文学全集本、原漢文)とあり、山城国であることが知られる。
 また、石之日売が嫉妬に駆られて、奴理能美の家に滞在した時、口日売が歌った「山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐ
ましも」
(古事記下巻)から、奴理能美の邸宅は皇后の滞在に相応しい立派なもので、仁徳天皇も後日、石之日売を訪ねて行幸したところで
あり、それが「筒木」、すなわち、山城国の「綴喜」にあったことが知られるのである。
 この点、竹取の翁の家は、帝がかぐや姫の素顔を実見し、美麗であれば宮中に連れ帰ろうと意図して、御狩の行幸の途次、休憩に立ち寄
った程の豪邸であった。『今昔物語集』巻三十一の竹取説話は、「居所ニ宮殿楼閣ヲ造リテ、ソレニ住ミ」「家ノ有様微妙ナルコト、王ノ宮ニ異
ナラズ」と記している。竹取の翁の邸宅に匹敵するとも劣らない豪邸が、確かに存在したという点の類似性を以ていえば、翁邸の所在地に
「筒木」は重なってくるのである。

(注」その後の調べで
筒木の天神社は歌垣
(求婚) @竹取物語に通じる「カガヤク」場所  (『類聚名義抄』から解明
)2013.12.6
YouTube
動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY 
筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺
市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると、吉田金彦 名誉教授が見えられました。そして、三山木高木の天神山と天神社を
ご案内させて頂きました。日本の語源学の権威である吉田金彦 名誉教授が、天神社は男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると
発表されました。この地域では、20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」
が筒木に住んでいて竹取物語の舞台とされた所とされ有名になっている。
京都学派の重鎮 吉田金彦先生、『竹取物語』の場所は京田辺市山本、作者空海に合致!!
  京大国文「第110 訓点語学会」で画期的な発表!!
   訓点語学会HP  http://www.kuntengo.com/happyo.html
場所・日程2014.5.2513時半 於京大文学部 3講義室(吉田キャンパス内)
京大国文「第110 訓点語学会」での吉田金彦先生発表からレジュメ頂いた。
その研究発表内容によると題名は
  「名義抄「カガヤク(『求』の下に『糸』)」和訓のその後を追う―原作竹取物語と天神山について―
である。レジュメでは、小泉氏の『竹取物語』の場所は山本は地理的に有利、適合地で真実性がある。作者空海作は東寺の『類聚名義抄』
歌垣をした場所で「求婚」という
カガヤク」の字があり竹取物語に通じる語源「光りカガヤク」と合致!! 京田辺市三山木高木の
天神山と天神社が歌垣をした場所で「求婚」を現して等の発表をされます。

詳細については、下記を御覧下さい。
110回訓点学会」で京都の重鎮 吉田先生が画期的な発表をされた。
京大国文「訓点学会」B 『竹取物語』場所は筒木の山本と発表!
【YouTube】京大国文「第110回訓点学会」
 @ http://youtu.be/98oAJl-5wFU 館長が名義抄発表を取材! 
 A http://youtu.be/IDqPkvEmw4M 『竹取物語』山本、作者空海
 B http://youtu.be/0s19NcmHOTs 『竹取物語』筒木の山本と発表!
 C http://youtu.be/8vu4RPjrk2Y 東寺の名義抄の発表直後に取材!
 D http://youtu.be/gy6QEh495Eo 総集編(名義抄・舞台・空海)
京大国文「第110回訓点学会」で京都の重鎮 吉田先生が画期的な発表をされた。
吉田先生は、『竹取物語』の舞台 山本が地理的に適合地で有利、真実性がある。「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺
市であるという貴方の説に賛同します。
 また、『竹取物語』の作者空海は、東寺にあった『類聚名義抄』(日本最古の辞典)に「カガヤク」の字あり、作者空海作は漢文で書いたのでは!?
と、述べられた。
「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館」が取材 http://taketori.koiyk.com/
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.
筒木の天神社は歌垣(求婚) @竹取物語に通じる「カガヤク」場所  (『類聚名義抄』から解明)2013.12.6
YouTube
動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY  

筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると、
吉田金彦 名誉教授が見えられました。そして、三山木高木の天神山と天神社をご案内させて頂きました。

 日本の語源学の権威である吉田金彦 名誉教授が、天神社は男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると発表されました。この地域では、
20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」が筒木に住んでいて竹取物語の舞台と
された所とされ有名になっている。

 京都学派の重鎮で語源学を長年続けられている吉田金彦さんは、京都大学の卒業論文で京都の東寺に残されていた『類聚名義抄』を研究され
卒業論文に書いて研究を続けてこられた。そして、その成果を後輩の尽力で2013年5月に『古辞書と国語』臨川書店から出版された。

 この本の中には、竹取物語に通じる「カガヤク」という語源を「光りカガヤク」とされているが本来は「求める、さがす、求婚する」という
のが元の語源の意味であると述べられ『竹取物語』で5人の貴公子が求婚に訪れることと深い関係があると述べられている。

 この『類聚名義抄』は、東寺にあった物で弘法大師・空海が開いた場所でもあり遣唐使で中国の長安へ行ったときに持ち帰り作られた可能性
もある。
 京田辺市にある竹取翁博物館の小泉館長は、竹取物語の作者を空海と述べていて、その場所も京田辺市で密教寺院が多くあり深く関わってい
るのではないかとみておられます。

 その三山木の場所に天神社があり、その天神川の横にある天神山には、かつて天神社があって古く弥生時代の高地制集落が現在
も存在する所
(卑弥呼の邪馬台国の頃の遺跡)から『竹取物語に登場する恋愛の場所であった』
という重要な地域となるであろうとされ話題になっている。
「竹取物語かぐや姫サミット」には、かぐや姫美術館の山口館長さんが広島から参加頂きました。(上の写真右側)その時に7市町で
「かぐや姫サミット」の地域間交流しているが、本命は京田辺市が発祥地だと断言された。

山口様は、京田辺舞台説を15年ほど前に聞いて見に来られ「きっちりとした説をお持ち」だとびっくりしてお帰りになられていた。
そのご縁で山口様が収集された「竹取物語の古本」の写真を今回の「サミット特別展示物」として提供して頂き会場で皆さんにみて
頂きました。
 また、大阪・徐福友好塾主宰 代表鳥居貞義様(上の写真左側)からは、 「2周年おめでとう御座います。今後末永く続く為の基盤が出来た
こととして誠に意義深いことと存じます。 (中略) 
 神話はどのような時代背景で生まれ、どのように伝搬したかが研究の対象となります。
 そのためには、竹取翁博物館のような施設が是非必要であり、それが民力すなわち、 民間人の力でできあがったことに敬意を表します。」とい
う丁重なメッセージを頂きました。
平成26年(2014)2月1日 天の川七夕星まつりの会 代表 大阪・徐福友好塾主宰 鳥居貞義
 
竹取翁博物館で2014.2.1に開催された「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館シンポジウム」では、京都学派の重鎮で語源学の吉田金彦名誉教授
から、「奈良・平安時代の歌垣
(求婚)」について東寺に残されていた『類聚名義抄』を初披露されました。
 ■吉田金彦さん・・筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する! 
『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。
「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。
吉田氏紹介−語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授など歴任。姫路独協
大学名誉教授。現在
: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。著書:『日本語語源学の方法』
『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。
〈参考〉吉田先生の過去の研究発表(HPバックナンバーから)
 ・ 類聚名義抄の「?」の和訓イシマについて   吉田金彦
  ・「かたびら」の謎  ―地名と訓点語はなぜ共用されたか   
  ・家持の語法 ―「心つごく」は歌語か訓点語か― 
  ・憶良の語法 ―くれくれと― 
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 同様の状況証拠を指摘すれば、帝は、翁邸にかぐや姫を実見しに行く口実として、御狩の行幸を提案する時、「みやつこまろが家は山もと近
かなり」と発言する。「山もと」については、『続日本紀』和銅四年条に「丁未。始置都亭駅。山背国相楽郡岡田駅。綴喜郡山本駅」とあって、
当時既に「山本」という地名が存在したことが知られる。そうした地名が存することは、そこが京田辺市にある甘南備山のご神体山、大住隼人
の「月読神社」の山麓に位置する土地であることを意味しており、「筒木」は「山もと近かなり」という条件を満たす地域であることが知られるの
である。
 また、既に本田義憲氏「かぐや姫の家」(叙説 昭和54年)が詳述されているが、かぐや姫の故郷である「月」と関わりのある、「月神」を祀る
式内社が山城国に三社あり、そのうちの「月読神社」「樺井月神社」の二社が綴喜郡に祀られている。そして、南山城地域で「月神信仰」が盛
んであったことを、史料を捜して述べておられる。こうしたことも、かぐや姫と竹取の翁の出会いが構想された地として、「綴喜」の方が相応しい
ことの傍証にはなるであろう。
 以上、(注」大手出版社が過去に述べられていることが間違っている。)既に指摘されていることを主として整理しながら、竹取の翁の
居住地は、翁と姫の命名の経緯から判断して、「綴喜」がモデル地であった可能性について、状況証拠を三点指摘してみた。
 すべては、今後の状況証拠の積み上げ、換言すれば、古代における「綴喜」の位置と役割の解明にかかっているのであり、そのための契機と
なることを願って、大雑把なまとめを試みたに過ぎない。
       三 作者と『古事記』
 尚、一点だけ、補記しておきたい。
 それは、『竹取物語』の作者が、翁と姫の名前を『古事記』から引用した問題である。平安期において、正式の歴史書は『日本書紀』(注 『日本
書紀』は再版では間違いが多いと指摘され『古事記』の方が正しいといわれている)
であり、『古事記』が参看されることはあまりなかった
ようである(『古事記』の注釈書である『古事記裏書』は、十四世紀の成立)。
 物語の作者層は、男性知識人であり、『竹取物語』の作者も、五人の求婚者に与えた難題や女仙伝の記述を踏まえた叙述から判断して、
大学寮で学んだ人であることは疑いない。当時、史書としての『古事記』の位置付けが低かったことは、間違いないが、接触の場が全くなかった
ともいえまい。その辺りの状況が掴みにくいのだが、『古事記』が注目される契機となる出来事の一つに、「読日本紀」、すなわち『日本書紀』の
講筵が考えられよう。これは、「先朝之故事」を学ぶために、公卿殿上人を対象として、嵯峨天皇の弘仁三(812)年よりおおよそ三十年ごとに、
数年をかけて実施された。(注」竹取翁博物館では、嵯峨天皇に慕われた弘法大師・空海が作者と主張している)
 実施開始年は、承和十(843)年、元慶二(878)年、延喜四(904)年、承平六(936)年、康保二(965)年であり、『竹取物語』の推定成立時期
である貞観年間(859)から延喜九(909)年を重ねると、元慶二(878)年、延喜四(904)年が重なってくる。時期的には、元慶二(878)年の方が
妥当性が高いようにも思われるが、その頃大学寮に学んだ人物を調べると、紀長谷雄がいる。これまでも、『竹取物語』の作者に擬せられてきた
が、貞観十八(876)年文章生、元慶五年文章得業生になっている。
 こうした長谷雄の経歴と、『日本書紀』の講筵を準備し、担当したのが、大学寮の構成員であることを勘案する時、準備に従事する過程で、補助
史料として『古事記』を手にした可能性は、十分考えられてよいように思われるのであるが、如何であろうか。
(そね・せいいち/花園大学教授)

追記
竹取翁博物館では、 国際かぐや姫学会を立ち上げ「かぐや姫サミット」を開催し、また京都地名研究会の名誉会長吉田金彦先生の京都
大学での発表により、舞台が京田辺の三山木であり、また博物館の小泉館長の「竹取物語の作者が弘法大師・空海」の発表もあった。
NHK文化センター講師が「文学の旅探訪」下見で「本格的な博物館に驚嘆」2014.5.21
 YouTube  http://youtu.be/lzzSf9oagP8 福山から第3回文学の旅「京都
(京田辺・大原野・大山崎)の探訪」
2014.6.22開催の下見で竹取翁博物館を訪問されました。

 新しい情報は、   2012年度より 国際かぐや姫学会「Top」 に偏向になりました。


 

枚方市の今中哲男さまから本の読後の感想を頂きました。

2012年8月22日
『竹取物語 現代考』は2001年9月のシンポジウム」でいただいた資料より詳細かつ具体的に記述 されており、興味深く拝見しました。
また、5月に月読神社など京田辺の史跡を見学していたのでかぐやひめの古里をとても身近に感 じました。
『マスコミ一代記』は感動しました。カメラマン、放送記者、プロデューサーなどどの分野でも 徹底して探求される姿勢には脱帽です。どの分野も徹底的に研究されるので文学、歴史、文化の 世界でも一流の研究者になられたのでしょうね。
また、奥様のご病気とご逝去、小泉さまの闘病、は驚きました。たいへんな試練のなか、よく ぞ、前向きに博物館を設立されたものだと驚きしかありません。
 『京田辺の歴史散歩』はかぐやひめゆかりの場所が良くわかり、『ぴゅあはうすの特 集』もかぐやひめの里が簡潔に紹介され、また歩いてみたいと思いました。
     
 


「大筒木出版」大筒木出版 「国際かぐや姫学会」movie
    場所:〒610-0313京都府京田辺市三山木直田10 代表者小泉芳孝
  JR片町線「JR三山木駅」東へ徒歩3分  近鉄京都線「三山木駅」東へ徒歩2分
  
TEL・FAX 0774-62-2522 携帯 090−6961−9391 
HP http://taketori.koiyk.com/
   Mail koiy@leto.eonet.ne.jp
こに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。yk  更新2016年4月7日
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