竹取物語                      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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「竹取物語」のその他の用法については「竹取物語 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

 

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『竹取物語』(たけとりものがたり)は、日本物語。成立年、作者ともに未詳。『竹取物語』は通称で、『竹取翁の物語』とも『かぐや姫の物語』とも呼ばれた。また、現代は『かぐや姫』というタイトルで、絵本・アニメ・映画など様々な形で出版されている。物語の舞台は、京都府京田辺市とされ竹取翁博物館が出来て作者弘法大師・空海として活発な活動を展開されている。

目次   
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         1 概要

2 成立

o    2.1 本文

·         3 あらすじ

·         4 物語としての性格

5 登場人物と時代

o    5.1 かぐや姫のモデル

o    5.2 5人の貴公子のモデル

o    5.3 時代設定

·         6 時代背景

·         7 由縁の地

8 海外の類話とそれに関する諸説

o    8.1 アバ・チベット族「斑竹姑娘」との関連

9 刊行本

o    9.1 原文・校注

o    9.2 現代語訳

o    9.3 解説書

·         10 出典・補注

·         11 関連文献

·         12 関連項目

13 外部リンク

o    13.1 テキスト・解説

o    13.2 写本

o    13.3 絵巻・奈良絵本

o    13.4 自治体関連

 
   
   

概要[編集]

『竹取物語』は、日本最古の物語と伝えられ、「物語の祖(おや)」とも言われる。遅くとも平安時代初期10世紀半ばまでには成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。

内容は、「竹取の翁(おきな)」によって光り輝くの中から見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚。かぐや姫は五人の貴公子から求婚を受けるもこれを退け、帝から召し出されても応じず、八月の満月の夜に「月の都」へ帰る。『万葉集』巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、この物語との関連が指摘されている。

成立[編集]

成立年は明らかになっていない。原本は現存せず、写本室町時代初期の後光厳天皇の筆と伝えられる「竹取物語断簡」が最古といわれ、完本では安土桃山時代天正20年(1592)の奥付を有する「武藤本」[1]1996には室町時代末期の元亀元年(1570)の奥付を有する「里村紹巴本」が発見されているものの、いずれも室町時代を遡るものではない。しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。

またこの説話に関連あるものとして『丹後国風土記』、『万葉集』巻十六、『今昔物語集』などの文献、謡曲羽衣』、昔話『天人女房』、『絵姿女房』、『竹伐爺』、『鳥呑み爺』などが挙げられる。当時の竹取説話群を元にとある人物が創作したものと考えられる。

作者についても不詳である。作者像として、当時の推定識字率から庶民は考えづらく、上流階級に属しており、貴族の情報が入手できる平安京近隣に居住し、物語に反体制的要素が認められることから、当時権力を握っていた藤原氏の係累ではなく、漢学仏教民間伝承に精通し、仮名文字を操ることができ、和歌の才能もあり、貴重であった紙の入手も可能な人物で、性別は男性だったのではないかと推定されている。

以上をふまえ、源順源融遍昭紀貫之紀長谷雄、他に文章博士などを歴任し、仁和2年(886年)から仁和6年(890年)まで、竹取の翁の名・讃岐造と同じ讃岐国の讃岐守に遷任したことがあり、自身の出生も余呉羽衣伝説で語られる菅原道真など数多くの説が提唱されている。

本文[編集]

竹取物語の本文系統は、以下の二種類に大別できるとされている。

流布本系

現在最も広く流布している本文。中田剛直によって、以下のように分類されている[2]

·         1

o    1種 武藤本・平瀬氏旧蔵本・高山図書館[3]蔵本

o    2種 加賀豊三郎蔵本・武田祐吉蔵本・久曾神昇蔵甲本

o    3種 前田善子旧蔵本・山岸徳平蔵本

·         2

o    島原候旧蔵本・北島家旧蔵本・度会正董書入本・荒木田久老書入本

·         3

o    1種 蓬左文庫蔵本・吉田幸一蔵本・久曾神昇蔵乙本・静嘉堂文庫丹羽嘉言筆本

o    2種 尊経閣文庫蔵本・戸川浜男旧蔵本・彰考館蔵金森本・群書類従本・内閣文庫蔵本・滋岡氏旧蔵本

o    3種 大覚寺蔵本・書陵部霊元院外題宸筆本・書陵部伊左左米言本・徳本正俊蔵本・古活字十行甲本 など

現在最も一般的な竹取物語の本文は、この第3類第3種の系統のものである。

古本系

上賀茂神社三手文庫に伝わる、今井似閑が校合・書き入れを行なった元禄5(1692)の刊本における奥書に、

ある古本を以て一校せしめ畢ぬ 互ニ見合セハ好本と成侍るへし

寶永四亥ノ八月 洛東隠士

とあることから名づけられた。流布本系と比較すると数多くの異文を有しており、より古態を残すとされる。

南波浩により、以下のように分類されている[4]

·         1類 古写断簡

前述の後光厳天皇筆とされる8葉と、二条為定筆とされる1葉の、計9葉が現存している[5]

·         2類 新井本

新井信之が所蔵していたもの。文化十二年(1815)の写本で、古本系統で唯一の完本である。

3類の諸本よりも第1類の本文に近いとされる。

·         3

o    1種 三手文庫本・桃園文庫太氏本

o    2種 光藤本・京大本・書陵部恬斎書入本・桃園文庫書入写本・平瀬本・服部

全て書き入れ・校合の形で伝えられるもの。

狛諸成寛政五年(1793)に刊行した『竹取物語伊左佐米言』において、親族の家に伝える行成風の写本を通行版本(流布本)よりも優れた「古本」として校合しているが、この「古本」の逸文は古本系の本文に一致するという見解がある[6]


なお、和歌の一部が鎌倉時代の『海道記』や『風葉和歌集』、室町時代の『塵荊抄』に、梗概としての本文が室町時代源氏物語梗概書である『源氏物語提要』や注釈書である『花鳥余情』(共に絵合巻についての記事)に、それぞれ引用されている。

南波浩は、『海道記』に引用された和歌二首は、一首が古本系からの引用であるのに対し、もう一首が流布本系と古本系を混用したものになっていることから、鎌倉時代中期頃には既に両系が並立していたとしている。

あらすじ[編集]

ここでは現在一般的に知られている話を紹介する。

今となっては昔のことであるが、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた翁とその妻の嫗がいた。翁の名はさるき[7][8]のみやつこといった。

ある日、翁が竹林にでかけると、光り輝く竹があった。不思議に思って近寄ってみると、中から三[9](約 9 cm)程の可愛らしいことこの上ない女の子が出て来たので、自分たちの子供として育てることにした。

その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。 翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になったので、髪を結い上げる儀式を手配し、を着せた。この世のものとは思えない程の美しさで、家の中には暗い場が無く光に満ちている。翁は、心が悪く苦しいときも、この子を見れば消えた。

この子はとても大きくなったため、御室戸斎部(みむろどいんべ)[10]の秋田を呼んで名前をつけさせた。秋田は「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。[11][12]このとき人を集めて詩歌や舞など色々な遊びを催し、三日に渡り盛大な祝宴をした。

幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)

世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。

そのような時から、女に求婚することを「よばひ」と言うようになった[13]

その内に、志の無い者は来なくなっていった。最後に残ったのは色好みといわれる五人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。五人の公達は、石作皇子車持皇子右大臣阿倍御主人大納言大伴御行中納言石上麻呂といった。

これを見て翁がかぐや姫に「仏のように大切なわが子よ、変化の者[14]とはいえ翁も七十となり今日とも明日とも知れない。この世の男女は結婚するもので、あなたも結婚のないままいらっしゃるわけにはいかない」と言うとかぐや姫は、良くもない容姿で相手の深い心も知らずに結婚して、浮気でもされたら後悔するに違いないとし、「世の畏れ多い方々であっても、深い志を知らないままに結婚できません。ほんのちょっとしたことです。『私の言う物を持って来ることが出来た人にお仕えいたしましょう』と彼らに伝えてください」と言った。 夜になると例の五人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らしたりしていた。翁は公達を集めてかぐや姫の意思を伝えた。

その意思とは石作皇子には「仏の御石の鉢」、車持皇子には「蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」、右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」、大納言大伴御行には「の首の珠」、中納言石上麻呂には「の産んだ子安貝」を持って来させるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。

石作皇子は大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれたが、鉢を捨ててまた言い寄ったことから、思い嘆くことを「はぢを捨てる」[15]と言うようになった。

車持皇子は玉の枝の偽物をわざわざ作ったがその報酬を支払われていない職人たちがやってきて偽物と発覚、長い年月姿が見えなかったことから「たまさがなる」[16]と言うようになった。

阿倍はの商人から火鼠の皮衣を購入した。この衣は本来燃えぬはずであったが、姫が焼いてみると燃えたので贋作と分かり、阿倍に因んでやり遂げられないことを「あへなし」[17]と言うようになった。

大伴は船で探索するが嵐に遭い、更に重病にかかり両目は二つののようになり、世間の人々が「大伴の大納言は、龍の首の珠を取りなさったのか」「いや、御目に二つ李のような珠をつけていらっしゃる」「ああたべがたい」と言ったことから、理に合わないことを「あなたへがた」[18]と言うようになった。

石上は大炊寮大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って子安貝らしきものを掴んだが転落して腰を打ち、しかも掴んだのは燕の古い糞であり貝は無かったことから、期待外れのことを「かひなし」[19]と言うようになった。

その後、中納言が気弱になり病床にあることを聞いたかぐや姫が「まつかひもない」[20]と見舞いの歌を送ると中納言はかろうじて、かひはなくありけるものを[21]、と返歌を書き息絶えた。これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思ったことから、少し嬉しいことを「かひあり」(甲斐がある)と言うようになった。結局、かぐや姫が出した難題をこなした者は誰一人としていなかった。

そんな様子がにも伝わり、帝は姫に会いたがった。使いとして内侍中臣房子を派遣し、房子は嫗にかぐや姫と対面させるよう迫るが、再三の説得にも関わらず、ことごとく拒絶される。この事を帝に伝えると、帝は一旦は思いとどまったものの、やはり会いたくなり、翁を呼び出して「姫を差し出せば官位をやる」と告げる。喜ぶ翁の取りなしにもかかわらずかぐや姫は「帝がお召しになって仰られたとしても、畏れ多いとも思いません」と言い姿を見せようともしない。帝は「多くの人を殺してきた心であるよ」と言ったが、なおこの女の心積もりに負けてなるものかと諦めない。かぐや姫は「無理にお仕えさせようとなさるならば消え失せてしまうつもりです」と翁に言った。翁がこの事を帝に伝えると、帝は狩りに行幸するふりをして会うことを提案する。翁もそれに賛同した。

帝が狩りに行くついでに不意をつき、かぐや姫の家に入ると、光に満ちて清らかに坐っている人を見た。帝は初めて見たかぐや姫を類なく美しく思い、神輿を寄せて連れて行こうとしたが、姫は一瞬のうちに姿(実体)を影(光)と化した。 本当に地上の人間ではないと帝は思ったが、より一層すばらしい女だと思う気持ちが抑えがたい。帝は、魂をその場に留め置いている心地でかぐや姫を残して帰った。

日頃仕えている女官たちを見ると、かぐや姫の近くに寄っていられる人さえない。他の人より清く美しいと思っていた人は、あのかぐや姫に比べると人並でもない。かぐや姫ばかりが心にかかって、ただ一人で過ごしている。かぐや姫のもとにだけ、手紙を書いて文通している。

月へ帰って行くかぐや姫(同上)

帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。 八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であって、十五日に帰らねばならない。ほんの少しの間ということであの国からやって来たが、この様にこの国で長い年月を経てしまった。[22][12]それでも自分の心のままにならず、お暇申し上げる」という。

それを帝が知り、翁の意を受けて、勇ましい軍勢を送ることとなった。 その十五日には、各役所に命じ勅使として中将高野大国を指名し、六衛府を合せて二千人を竹取の家に派遣する。 家に行って、築地の上に千人、建物の上に千人、家の使用人がとても多かったのと合わせて、空いている隙もなく守らせた。 嫗は、塗籠[23]の内でかぐや姫を抱きかかえている。翁も、塗籠の戸に錠を下ろして戸口にいる。

かぐや姫は「私を閉じ込めて、守り戦う準備をしていても、あの国の人に対して戦うことはできないのです。弓矢で射ることもできないでしょう。このように閉じ込めていても、あの国の人が来たら、みな開いてしまうでしょう。戦い合おうとしても、あの国の人が来たら、勇猛な心を奮う人も、まさかいないでしょう」という。

翁は迎えを、長い爪で眼を掴み潰そう、髪の毛を取って引き落とし、尻を引き出して役人たちに見せて恥をかかせてやろうと腹を立てている。 かぐや姫は「大声でおっしゃいますな。屋根の上にいる者どもが聞くと、大層よろしくない。お爺さま、お婆さまのこれまでのご愛情をわきまえもしないでお別れしようとすることが、残念でございます。両親に対するお世話を、僅かも致さずに、帰っていく道中も安らかにはなりますまい。あの都の人は、とても清らかで美しく、老いることもないのです。もの思いもありません。そのような所へ行くことも、嬉しいとも存じません」と言った。

そして子の刻(真夜中頃)、家の周りが昼の明るさよりも光った。大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺(約1.5メートル)くらい上った所に立ち並んでいる。 内外の人々の心は、得体が知れない存在に襲われるようで、戦い合おうという気もなかった。何とか心を奮って弓矢を構えようとしても、手に力も無くなって萎えてしまった。気丈な者が堪えて射ようとしたが矢はあらぬ方へ飛んでいき、ただ茫然とお互い見つめ合っている。 王と思われる人が「造麻呂、出て参れ」と言うと、猛々しかった造麻呂も、何か酔ったような心地になって、うつ伏せにひれ伏している。

王は「お前、幼き者[24][12]よ。少しばかり翁が善行を作ったから助けにと、僅かばかりの間ということで姫を下したところ、長い年月の間に多くの黄金を賜って、お前は生まれ変わったように金持ちになったのだ。かぐや姫は罪を御作りになったので、このように賤しいお前の元にしばらくいらっしゃったのだ。罪の期限は過ぎた。早くお出し申しあげよ」と翁に言うが、翁は従わない。

屋根の上に飛ぶ車を近づけて「さあ、かぐや姫。穢れた所(地上)にどうして長く居られるのでしょうか」と言うと、締め切っていた戸や格子が即座に開いていく。嫗が抱きかかえて座っていたかぐや姫は、外に出てしまう。

かぐや姫は、せめて天に上っていくのだけでもお見送りくださいと言うが翁は泣き伏してしまう。「御心が乱れてしまっている」と見かねたかぐや姫は「この先、恋しい折々に、取り出してご覧ください」と手紙を書き置いた。天人の中の者に持たせた箱があり、それには天の羽衣が、また別の箱には不死の薬が入っている。 一人の天人が姫に「穢い所の物を召し上がっていたのでご気分が悪いことでしょう」と言い薬を持って寄ったのでかぐや姫は僅かに嘗め、天の羽衣を着せようとしていた天人を制し、帝への手紙と歌を書いた。その歌には、

いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる[25]

と詠んだ。その手紙に、薬を添えて頭中将へ渡させた。 中将が受け取ると天人がさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫のこれまで翁を痛ましい、愛しいと思っていたことも消えてしまった。この羽衣を着た人は物思いがなくなってしまうのだったから、かぐや姫は車に乗って昇ってしまった。

帝は手紙を読みひどく深く悲しみ、何も食べず詩歌管弦もしなかった。 大臣や上達部を呼び「どの山が天に近いか」と尋ねると、ある人が駿河の国にあるという山だと言うのを聞き「会うことも無いので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何になろう」と詠み、かぐや姫からの不死の薬と手紙を、壺も添えて使者に渡し、つきの岩笠[26][12][27]という人を召して、それらを駿河国にある日本で一番高い山で焼くように命じた。

その由緒を謹んで受け、「士(つわもの)らを大勢連れて、不死薬を焼きに山へ登った」ことから、その山を「ふじの山」[28][12]と名づけた。 その煙は今も雲の中に立ち昇っていると言い伝えられている。

物語としての性格[編集]

『月宮迎』(月岡芳年『月百姿』)

この作品には、かぐや姫が竹の中から生まれたという竹中生誕説話(異常出生説話)、かぐやが3ヶ月で大きくなったという急成長説話、かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという致富長者説話、複数の求婚者へ難題を課していずれも失敗する求婚難題説話、帝の求婚を拒否する帝求婚説話、かぐや姫が月へ戻るという昇天説話(羽衣説話)、最後に富士山の地名由来を説き明かす地名起源説話など、非常に多様な要素が含まれているにもかかわらず、高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品として評価されている。

大きく捉えれば、天人女房型説話が難題求婚譚を挟んだ形になっているが、これは単なる伝承の継ぎ接ぎではない。それら伝承を利用しつつ、「人間の姿そのものという新たな世界」を創り出そうとしたところに、物語文学の誕生があるからである[12]

竹中生誕説話において、竹は茎が空洞であることや成長の急激さにより神聖視され、説話の重要な構成要素の一つになっている。その特徴を顕著に示す話の一つが『竹取物語』であり同系列の昔話に『竹姫』、『竹の子童子』がある。竹中誕生譚は他の異常誕生譚に比べると事例が稀で、日本国内よりはむしろ中国東南アジアに多い。『継子と笛』も継子の霊が竹になり、それで作った笛を父親が吹くとが自分の消息を伝える。日本の昔話では竹中の精霊は人間界に留まれないものが多い。竹は神の依代であると同時に呪力を持つと考えられていた。七夕の竹を畑に立てての虫除け、耳病に火吹竹をあてる等の風習が地方にはあり、また聖人の杖が根づいたり、呪言とともに逆さにした竹が成長したという神聖視する心意の伝説も多い。竹は普段の生活に密着しており、その点でも説話の生成伝播を促した。

多くの要素を含んでいるため、他作品との類似性ないし他作品からの影響が指摘されている。『竹取物語』は、異界から来た主人公が貧しい人を富ませた後に再び異界へ去っていくという構造から成り立っており、構造的には羽衣伝説と同一である。

平安時代後期の『今昔物語集』にも竹取物語と同様の説話(巻31「竹取の翁、女児を見つけて養う語」)が採集されているが、求婚者への難題は3題のみで、月へ帰る夜も十五夜でなく、富士山の地名由来譚も登場しない、『竹取物語』より簡略化された内容である。漢籍などを参照したと考えられ、完成した内容を持つ『竹取物語』とは異なり、今昔所収の説話は口頭伝承されてきた「竹取の翁の物語」の古態を伝えているのではないかと想定されている。

なお、後年の作家によって、本作は「世界最初のSF小説」と言及される事がある(藤川桂介著の「宇宙皇子」の後書きなど)。しかしながら実際には、古代ギリシアの作家ルキアノスの書いた『本当の話』と『イカロメニッパス』のほうが古い。

登場人物と時代[編集]

かぐや姫のモデル[編集]

『竹取物語』のかぐや姫のモデルとしては、『古事記』に垂仁天皇の妃として記載される、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)が指摘されている(「筒木」は筒状の木と解すれば竹、また「星」の古語「つづ」との関わりもあるか。また、同音の「綴喜京田辺市」には月読命を祀る樺井月神社月読神社を祀る式内社が鎮座する)。大筒木垂根王(おおつつきたりねおう)の弟に「讃岐垂根王」(さぬきたりねのみこ)がおり、竹取の翁の名「大筒木垂根王を連想させる原文には「さかきのみやつこ」か「さるきのみやつこ」であり「さるき」では意味が分からない。故に「さかきのみやつこ」がら京田辺市にいた大筒木垂根から京都府京田辺市が本命とされている。
 故に、今まで言われていた「讃岐垂根王」の「讃岐」は、四国地方のことであり物語の畿内になく遠い存在と言えよう。「竹」との関連が深い大住隼人が移住した京田辺市の樺井月神社月読神社を祀る月読尊から京田辺説が門脇偵二・森浩一・ヨシだ金彦名誉教授らにより確定された。『
日本書紀』では開化天皇妃の「丹波竹野媛」の他、垂仁天皇の期先の一人に「かぐや姫」がいて、これを弘法大師空海が作者だとされすべての説が判明した。

5人の貴公子のモデル[編集]

竹取物語には壬申の乱で活躍した実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。5人の貴公子のうち、阿倍御主人大伴御行石上麻呂は実在の人物である。

また、車持皇子は藤原不比等とされ、不比等は天智天皇落胤との説があり、母の姓が「車持」であるためといわれる。

石作皇子のモデルは多治比嶋と推定され、多治比嶋が宣化天皇の四世孫で、「石作」氏と同族だったためである。

時代設定[編集]

この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台だったと考えられるが、ぬ゜タイは、京都で、嵯峨天皇の事が記されている。

また、この時期に富士山が噴気活動中の火山として描かれているが、舞台は京田辺氏なので、京田辺市大住にある7、甘南備山が信仰の対象となっていて、近年ピラミッド山として木八功を浴びているル弘法大師空海は、この甘南備山をラストシーンにもってきて、ペルシャのゾロアスタ祈祷をラストに入れ込んだのである。

時代背景[編集]

江戸時代国文学者加納諸平は『竹取物語』中のかぐや姫に言い寄る5人の貴公子が、『公卿補任』の文武天皇5年(701年)に記されている公卿にそっくりだと指摘した。しかし物語中の4人の貴公子まではその実在の公卿4人を連想されるものの、5人のうち最も卑劣な人物として描かれる車持皇子は、最後のひとり藤原不比等がまるで似ていないことにも触れている。だが、これは反対であるがゆえに不比等本人ではないかと推測する見方もでき、車持皇子を「卑怯である」と書くことによって陰に藤原氏への悪口を含ませ、藤原氏を批判しようとする作者の意図がその文章の背後に見えるとする意見が有力である。近年京田辺市三山木に竹取翁博物館が建てられ京田辺市に24歳くらいまでいた藤原不比等が住んでいた事が判明している

由縁の地[編集]

日本各地に竹取物語由縁の地と名乗る地域があるが、ただ竹取物語(かぐや姫)をテーマにしたまちづくりを行っているたにすぎない。また以下の7市町(市町村コード順)では「かぐや姫サミット」という地域間交流が定期的に開催されているが、行政間での繋がりの交流であり直接「竹取物語の舞台」だということにこだわった「サミット」を行っているのではない。これら地域は、上記に記されたような地名起源説など無く竹林の関係や天女伝説地それに地名に「竹原」とある等の関係からで物語発祥にこだわった団体ではない。

かぐや姫の里京田辺   
(1)”かぐや姫の里”京田辺
(2)”かぐや姫サミット"
(3)
発祥の地は 京田辺
(4)出生をめぐる物語
(5)竹取物語シンポ
(6)「竹取物語開催!

(7)郷土史会の活動経過

(8)竹取発祥地は京田辺(2)
(9)竹取物語』と綴喜ノート 
(10)かぐや姫の里を考える会の活動経過報告
(11)竹製の民族楽器 

(12)NHK竹取シンポ

(13)『京都新聞』竹取冊子
(14)郷土史会がシンポ
(15)出版『稲作民俗の源流』

(16)世界の竹製民
楽器

(17)竹知物語(装苑アート)
サミット開催を!
(20)「南山城」シンポ
(21)「隼人サミット」シンポ

.『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き
      小泉芳孝著「大筒木出版」2012年2月(平成24年)発行
   定価6000円+税→博物館特価6000円(送料+税込)
A5版 447ページ 
   
 郵便振込のみ合計6000円
 
        
 

はじめに
 
 『竹取物語』は、平安時代初期貞観後半(八六九)から延喜前半(九〇五)の九世紀末に出来たもので、現存する限り日本最古の純物語文学
作品とされている。平安時代の日本は、中国の洛陽や長安をモデルに國と文化を形成していった。
 その中には文学も含まれ、遣唐使や遣使らにより中国の文学が日本に輸入されてきたと考えられる。
『源氏物語』の中でも「物語の出で来き始めの祖おやなる竹取の翁」と記されており、紫式部の時代から同様の認識があった。『竹取物語』は、
作者不詳、題名不詳の物語であるが、当初「竹取の翁の物語」などと略して『竹取物語』と呼ばれるようになっていった。
 平仮名で書かれた最初期の文学でもあるが、初めは漢文(片仮名交じりの宣明体)で書かれていたものが、書き直されたのではないかとされ
ている。
 これまで、『竹取物語』の研究や考察は、実に多岐の分野にわたっている。国文学者をはじめ歴史学者や民俗学者それに児童文学者さらに
作家にいたるまで、物語についての考究、発言が国内外で行われている。
それは『竹取物語』が、内外の貴族批判・超能力・怪奇現象、異国趣味、求婚活動など、世間に古くから伝わっていた話や伝承を取り入れるなど、物語として引き込まれる要素があり、現在の私達にも通ずるものが多く光り輝いているからだと思われる。
 そして、現在では中学校の国語の教科書にも収録されており、古典文学に関心のない人でも「今は昔、竹取の翁といふものありけり…」で始ま
る物語の冒頭は記憶にあるのではないだろうか。このように物語の成立から現在に至るまで『竹取物語』は、絵本、現代語訳、児童書などの多
様な形式で長い間つづけてきた。
 『竹取物語』は、致富長者説話、求婚難題説話、昇天説話、羽衣説話、地名起源説話、仏生説話が取り込まれていることに特色が有り日本最初の小説と言われる文学作品である。この本は、各地の伝説や物語の持つ特色など、あらゆる分野から解析を試みながら作者が何を表現したかったのか、また物語の中で巧みに場所を使い分けており「何処を舞台に設定したのか」などを分析しながら物語に登場する様々な項目について考察を重ねて来たのを私なりに論じてみた。
 「かぐや姫」の名が登場する最古の資料は『古事記』であり、また「大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の女むすめ、迦かぐやひめのみこと
具夜比賣命を娶めして、生みませる御子、袁耶弁王」との記載がある。また、『万葉集』巻第十六には「昔老翁ありき。號を竹取の翁と曰ひき。此の翁、季春の月にして、丘に登り遠く望むときに、忽に羹を煮る九箇の女子に値ひき」というように、「竹取の翁」の名が登場する。
これらは『竹取物語』よりも成立年代が前になり、直接の関連は無いにしても、何らかの影響があるのではないかという空想が広がる。 
 『竹取物語』は、平安時代初期にできた日本最古の物語で、ある日竹取の翁が竹の中にいた光り輝く三寸余りの少女を授かり「かぐや姫」と名
づけて育て成人する。そして五人の貴公子から求婚を受けるが無理難題を出して次々にしりぞけ、時の帝の求めにも応じず八月十五日の夜に月から迎えが来て昇天するという求婚・昇天説話である。
 物語の最初は、
   いまはむかし、たけとりのおきなといふものありけり。野山にまじりて、たけをとりつつ、よろづのことにつかひけり。名をば、さかきのみやつことなむいひける。とある。
 
 『竹取物語』の発祥地説については論争が続いているが、私は竹取の翁がいたのは、京都府京田辺市ではないかと考え、平成三年度発行の
『筒城』第三十六輯に「山城国綴喜郡山本駅と古代駅制について」の中で少し書いた。その後も研究を重ねるうち、『古事記』垂仁記に「大筒木垂根王の女、迦具夜比賣命」とあり、「大筒木垂根王」とその娘「迦具夜比賣命」が記されていて「かぐや姫」は実在の人物であったことがわかり、京田辺が『竹取物語』の舞台となった発祥地であり「かぐや姫」伝説地という結論に達した。
 研究当初は、自信なかったが、シンポジウムを開催した時に会場に来られていた日本語源研究の第一人者の吉田金彦代表から『古事記』の「大筒木垂根王」の娘「迦具夜比賣命」は、『竹取物語』のかぐや姫で「竹取物語の舞台」が京田辺であると励まして頂いた。また、パネラーになって頂いた国文学の曽根誠一教授は、大筒木垂根王の「大筒木」こそ翁の家のモデル地であった可能性が高いと『筒木』に投稿、平安京に詳しい京都産業大学の井上満夫名誉教授からは、「かぐや姫を考える会」を作ったらと言う提案を頂き、考古学の権威である森浩一名誉教授からは、「京田辺は『竹取物語』が熟成した場所として自信を持っていい」と京都新聞社主催の基調講演で、竹取物語のルーツとして「京田辺市は自信を持って『かぐや姫の里』と言っても何ら学問的に不思議はない。この地に竹の文化を持ち込んだ隼人達の伝承が原型となって、後に一つの文学に集約されたのではないか。」と述べて応援して頂いた。
 また、京都府立大学長で文献学の第一人者の故門脇禎二名誉教授からは、山代の筒木は、神功皇后や仁徳天皇それに継体天皇などが居住していて大筒木垂根王や大筒木真若王それに迦邇米雷王の時代に「迦具夜比賣命」がいて実在の皇后であると後援会で発表された。その後に、私の著書『稲作民俗の源流―日本・インドネシア―』を読まれて「貴方の研究は地域に出向き調べられて発表されており脱帽です!」という手紙を頂いた。この他にも沢山の先生方や友人らの励ましの言葉や応援があってここまで続けられたのである。
 その後、私は、会社の定年を迎えて再度出版に取り組もうと目次を考えるが体調不良と老眼も進み集中力もなくなり進まなかった。しかし、地元を始め全国紙の新聞社や雑誌『エプタ』Vol.23「日本昔話の世界」で、かぐや姫発祥地としてトップで取り上げられ励まして下さり、私が生きている内に完成させなければ消滅してしまうと思いまとめたのがこの本である。 
中身は、京田辺説を中心に様々な分野から解説しており、物語に親しんで頂けるよう原文と注釈それに現代語訳を挿入して楽しく読めるように工夫した。作者像については、当初、紀長谷雄のみを考えていたが最近空海説に出会えて急遽追加する事にした。また、読者によっては、最初から読まなくても判るように工夫したので同じ内容が時々出ているがお許し頂きたい。この他、少しでも皆さんに古典に親しんで頂けるよう各所で工夫しており、読者の皆様に新発見や何かの役に立てたならば幸いである。文中第七章の「インドネシアの民話」部分では、中口ひとみ氏に御協力頂き、「中国の『後漢書』『華陽國志』『群書礼記』から」は、私が中国で入手した漢文の翻訳もお世話になった。
物語の原文等や校正については、古川・臼井両氏と出版社のに、作者像については、青井・川野氏にお手伝い頂き、さらに、影で支えて下さったり、色々と励まして頂いた皆様があってこそ完成したのであり感謝にたえません。この紙面を借りてお世話になった皆様にお礼申し上げます。 
   平成二十四年一月   芳泉庵にて 小泉芳孝 「大筒木出版」
  
凡 例            
一、本書に挿入した原文は、『最新国文解釈叢書・竹取物語』山岸徳平・田口庸一著(株)法文社(昭和二十九年三月一日初版発行)の原文を元に、漢字を多数入れて振り仮名と送り仮名を付け加えて意味がわかりやすいように工夫した。(本編での原文引用は、なるべく上記本のままとした。)一、原文の上記本は、古本と言われる正保三年(一六四六)刊本を底本とし、校本には新井信之の『竹取物語の研究』、古典文庫、群書類従及び山岸文庫本を使用しており、これを基本に作成。現代語訳は、出来るだけ直訳を心がけ作成している。
一、古典文学に少しでも親しんで頂けるよう「原文の読み」については、平安初期の発音を反映する表記とするために歴史的仮名遣いにしたがった。この為、意味が通じなくなるので「濁点」を付し「漢字」を多く取り入れた。
漢字は現代当用漢字に努め平安文学に親しめるよう振り仮名を付したが慣用に反するものや例外もある。
一、文章の区切りは、中身を判りやすくするために細かくして、話し言葉に括弧を追加して読みやすくした。また、場面が大きく転回するごとに内容を要約した見出しを付け、原文の後に「注釈」として「※」印を付して記入し、さらに、現代語訳と解説をつけた。特に解説が必要ないと思われる所は、省いて後にまとめて挿入した。解説については、本文と少し重なる所も見られるがなるべく同じ文章にならないよう工夫した。

 一、「※」印の注釈は、なるべく簡単に表示し、「竹取物語高松宮蔵」(新典社版原典シリーズ六編者 片桐洋一)等を参考にさせて頂いた。
 一、本書は、先輩諸家の注釈・現代語訳・研究に負って成ったものである。謹んで謝しお礼申し上げます。

はじめに
 目次 『竹取物語 現代考』
        原文・注釈・現代語訳・解説付き
はじめに
凡例
          
第一章竹取物語の構造と成立
 
  一、『竹取物語』のあらすじ
  二、構造と成立について 
     物語と古伝承/構造と成立/構成と古伝承・説話/竹取物語の元のかたち 
     (『今昔物語集』『万葉集』『遊仙窟』『風土記』『海道記』など)
  三、『竹取物語』の原型 
     (竹中生誕説話・化生説話・致富長者説話) 

  「原文・はじめに」?本文?(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (1)かぐや姫の誕生  
      ①かぐや姫の誕生
    (2)かぐや姫の生い立ち
      ②かぐや姫の成長 
      ③竹取翁の富裕長者

  四、竹取翁とかぐや姫は誰か 
    (『古事記』『海道記』『源氏物語』など)
      竹取の翁像/かぐや姫の姿 / 『古事記』と『日本書紀』の記載
第二章竹取物語の発祥地説について―地名起源説話から―     
     日本・中国・インドネシアの竹文化圏に良く似た「竹誕生」
  一、はじめに 
  二、迦具夜比賣命の大筒木(京田辺市)の発祥地説 
      『竹取物語』の舞台は京田辺/朱智神社と息長氏/継体天皇の筒城と磐之媛の筒木
  三、奈良県広陵町の発祥地説 
  四、富士市の発祥地説
  五、中国の発祥地説 
  六、その他の発祥地説 
     原型を探す試み/西方の月女神/隠匿された都/万葉の竹取の翁/斎王説
  七、「かぐや姫サミット」の七市町村 
    ①静岡県富士市 
    ②奈良県広陵町 
    ③京都府向日市
    ④香川県長尾町  
    ⑤岡山県真備町 
    ⑥広島県竹原市
    ⑦鹿児島県宮之城町

第三章『竹取物語』の舞台は筒木(京田辺市)
  一、大筒木の地名と竹 
     山代の筒木(綴喜)地名/息長山普賢寺の竹送り
  二、「竹取の翁」の家は、「山本」の近く 
     古代駅制「山本驛」/佐賀冠者跡/大友皇子が縊死した「山前」/天女伝説地「鶴澤の池」
  三、翁の人物像から見た発祥地説 
     ①「さるきの造」讃岐説 
        讃岐神社の広陵町 
     ②「さかきの造」筒木説 
     (古本) 
       翁の名は名「さかき」/翁は、駅長・太夫か 
     ③「讃岐の造」と「筒木」(綴喜)説  
       舞台は大和/讃岐と筒木 
     ④富士市に登場する翁像
  四、かぐや姫は『古事記』の「迦具夜比賣命」    
     『古事記』の「迦具夜比賣命」/『普賢寺之遺跡』に「大筒木垂根王」の墳/
     『万葉集』『古事記』『日本書紀』の見方
  五、「かぐや姫」は「光り輝く」「火の神」 
     人物像/かぐや姫の罪/コノハナサクヤ姫

第四章『竹取物語』の五人の求婚者は実在人物(求婚難題説話) 
   一、五人は「壬申の乱」の功労者 
    本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
     (3)妻問い 
      ④貴公子たちの妻問い 
      ⑤熱心な求婚 
      ⑥翁のくどきと姫の条件
      ⑦貴公子に示された難題
         キトラ古墳の被葬者「阿倍御主人」/高松塚古墳の被葬者「石上麻呂」/ 
         さまざまな被葬者論について/石上麻呂という人物

第五章かぐや姫が出した「難題」と帝の「求婚」 
   一、求婚者への「難題」(求婚難題説話) 本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (4)貴公子たちの求婚 
      ①石作皇子には「仏の御石の鉢」 
        ⑧石作皇子と仏の御石の鉢 
      ②車持皇子には「蓬莱の玉の枝」  
        ⑨車持皇子と蓬莱の玉の枝 
        ⑩にせの玉の枝を持ち参上 
        ⑪皇子の冒険作り話 
        ⑫蓬莱山を発見 
        ⑬玉の枝を持参 
        ⑭匠の暴露と訴状 
        ⑮姫の勝利と皇子の蒸発 
      ③左大臣阿倍御主人には「火鼠の裘」 
        ⑯阿倍御主人と火鼠の裘 
        ⑰商人に騙されるお人好し 
        ⑱にせの火鼠の裘 
        ⑲かぐや姫、燃えない証拠をせまる 
        ⑳燃え上がる裘
      ④大納言大伴御行には「龍の首の玉」
        大伴御行と龍の首の玉 
        夢見る大納言と、家来たち 
        玉の捕獲に乗り出す大納言 
        荒れる海と雷鳴 
        明石に漂着した大納言 
        かぐや姫を人殺しと喚く 
      ⑤中納言石上麻呂足には「燕の子安の貝」 
        石上麻呂足と燕の子安の貝 
        作戦の失敗と智恵者官人の出現 
        智恵者官人の極意皆伝 
        貝をつかんだ中納言の籠が墜落 
        燕の糞を握り気絶する中納言 
        死んだ中納言をあわれむ かぐや姫
         『今昔物語集』と『竹取説話』の求婚難題譚比較/貨幣として使われた宝貝/
         中国?王国の青銅器「貯貝器」

二、帝の「求婚」(帝求婚説話) 本文(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (5)御狩の行幸・帝の求婚 (求婚説話) 
      33 帝の御使いに背 く
      34 献上なら翁に五位授ける 
      35 宮仕えなら死ぬと申す
      36 帝の御狩り行幸 
      37 姫に情を込めて御文通

第六章 かぐや姫の昇天と不死の山(羽衣昇天説話・地名起源説話) 本文?(原文・注釈・現代語訳・解説)
    (6)かぐや姫の昇天  
      38 月を見てかぐや姫の告白 
      39 八月十五日に月から迎え 
      40 竹取翁の家に武官二千人
      41 かぐや姫お別れの挨拶 
      42 月からの使者 
      43 かぐや姫の罪を告白 
      44 不死の薬と天の羽衣
      45 帝の手紙とかぐや姫の昇天
    (7)不死の山と煙 
      46 不死の薬と駿河の不死の山    
     (本文、おわり)                 

第七章天孫降臨と竹民族の源流考 
   一、日本の羽衣天女伝説地(羽衣説話)  
      「三保の松原」の羽衣伝説/余呉湖の羽衣伝説/「奈具の社」の羽衣伝説/
      鳥取県中部に伝わる羽衣伝説/沖縄県宜野湾市真志喜の「天人女房」
   二、日本の七夕伝説地   
      交野が原
   三、『竹取物語』の仏生説話   
      求婚者の難題物/昇天の「阿弥陀来迎図」
   四、日本神話と先住民族「隼人」の天孫降臨神話   
      熊襲と隼人/「隼人」の文化/「隼人」の天孫降臨神話/甘南備山の月信仰/九州隼人の月信仰
   五、「大住隼人」などの隼人舞 
     復活奉納した隼人舞/能楽五座のうち四座は、京田辺発祥地
   六、不老不死の神仙思想   
       飯岡トヅカ古墳出土の青銅鏡 ―絵柄に不老長寿薬と飛天の歌舞― 
         ①不老長寿薬と飛天の歌舞を描く 
         ②不老不死の長寿薬と車馬を描いた「神人車馬画像鏡」 
         ③飛天と天女の歌舞を描いた「神人歌舞画像鏡」 
         ④西王母と神獣を描いた「変形一神四獣鏡」
       中国古代の神仙世界 
          崑崙山に棲む西王母/西王母の不死薬/中国の月現象  
       月の都は不老不死 
          月と地上界との死生観/天女の不死薬と姫の手紙
   七、竹の特性と神秘性    
       竹の霊力と特異性/『竹取物語』に見る霊力や呪力/竹と月の霊力/神の依代/
       物語での竹利用 /竹の豊穣・結界・繁栄/竹の効能と特性/文化遺産と  しての竹製品

第八章類似する海外の『竹取物語』 ―インドネシア・中国―
   一、インドネシアの民話 
     ①「パクリの領主(竹の王子と娘)」スラウェシ 
     ②「竹薮の姫」東カリマンタン 
     ③「ジャカ・タルブ(タルブ村の天女)」中部ジャワ 
     ④「シアウ島の首長ビキビキ」シアウ島  
     ⑤「天国の王女と結婚したみなし子」中部スラウェシ 
     ⑥「ママヌアとウラセンドウ」 
   二、中国の『後漢書』『華陽國志』『群書礼記』から 
     ①『後漢書』西南夷・夜郎傳 
     ②『華陽國志』  
     ③『群書礼記』 
   三、中国カム地方の「斑竹姑娘」(バンチュウクーニャン) 
     ①「斑竹姑娘」の概要 
     ②求婚難題譚の比較

第九章日本人の手になる『竹取物語』 
  一、かぐや姫 
    出生の秘密を打ちあける 
  二、天女の「飛天像」と神仙の「不死薬」 
     飛天は、天上と地上を飛翔する「使い」/飛天像の変遷と神仙の西王母/
     富士市の竹取伝説と羽衣伝説/『万葉集』の竹取の翁と天女 /「月」と「地上」の経過速度 /
     『竹取物語』は、月から迎えがきて昇天/朱智神社本殿から飛天像発見
  三、不死の山は何処か(昇天説話)  
     駿河の「不死(不老長寿)の山」/天孫降臨の甘南備山/都に近い平安京の南基点「甘南備山」
  四、『竹取物語』京田辺説の根拠

第十章竹取の作者は誰で、成立年代は何時か  
  一、竹取物語の文学性と文体について  
  二、作者の諸説について   
     源隆国説/源順説/源融説/森浩一・塚口義信の隼人説
  三、紀氏系豪族説  
      紀長谷雄説  
  四、空海諸説
      雨海博洋説 
  五、空海説 
     ①遣唐使でインド直伝の密教学ぶ  
     ②空海説の根拠 
      大和国十市の山寺「佛の御石の鉢」/久米仙人の神仙思想/湯浴の開湯伝説「蓬莱の玉の枝」/
      大伴御行の「龍の首の玉」
     ③空海は文学者・書家・教育者  
       空海の実績/空海の観音信仰と罪の祓え/空海の密教と『竹取物語』/仏教と神道の死後観/
       嵯峨帝の平安時代も舞台/真言密教儀礼と「不死の薬」「姫の誕生」/
       空海の神仙道と不老不死/空海が果たした最大の成果
     ④作者は、弘法大師(空海)か  
        空海とユダヤ教 
おわりに  
参考文献
「竹取物語の舞台が京田辺市」に賛同頂いている先生の紹介

おわりに から

 この日本初の小説でもある竹取物語をさまざまな角度から論述してみた。しかし、究極のところ、作者はこの物語で何を伝えたかったのか を考察する必要がある。二十年間にあたり、『竹取物語』の里(舞台)は京田辺ではないかと考えて調査研究したのであるが、今ようやく 現段階でまとめて、ふと振り返ってみたところ、作者はこの物語で何を伝えたかったのかを考えてみた。
 私は今まで人間愛の場面が次々と展開するので、それらのストーリーに惑わされて、じっくり見つめることができなかった。私は妻を亡く して四年たってみたときに、かぐや姫とは「自分の妻のことを書きたくて作者が筆をとった・・・」のではないかと思われるのである。
 たしかに翁はおじいさんであり、子供がいないために突然幼児が竹の空洞から授かり大事に育てる。
しかし十五夜の満月の日に月から迎 えがきて去ってしまう。主人公はかぐや姫であり、翁は物語を展開さす脇役である。ならばかぐや姫は「何者ぞ?」と考えたときに夫にと って一番大切なのは「パートナー」であり「妻」であり、その妻そのものが「かぐや姫」と考えられるのである。 
 物語の中では翁夫妻の幼児として育てる。しかし「かぐや姫」のみを考えた場合は、最愛の妻であるべきなのである。
 夫婦はどちらかがいつかは死別する。その妻が先にあの世に旅だったさまを「極楽浄土図」のごとく天女とともに飛車に乗って月(あの世)へ帰っていく。
そしてあの世(月)の不老不死の世界でいつまでも輝いていてくれるように仏の慈悲が描かれているのである。本来なら天女伝説のように子供を産み、その後羽衣を見つけて帰って行くのであるがあえて『竹取物語』の作者はその方法をとらずに誰とも結婚しなかった。
これについては何故なのか未だに誰も理由がわからず「月で罪をおかしたから」と一言あるだけである。このあたりは作者の腕の見せ所と考えられる。
私はこの「竹取物語 現代考」を亡き妻の墓前にかかげるために数十年にわたり研究し続けてきたのではないかと、今思えるのである。

〈著者紹介〉
小泉芳孝
(こいずみ・よしたか)
1947生まれ
京都府立城南高等学校卒業
日本写真専門学校卒業
近畿大学法学部卒業
佛教大学文学部(史学科)卒業
現 職 竹取翁博物館館長
    大筒木出版代表
    学生マンション「スカイハイツ三山木」オーナー
職 歴 大阪映画(株)撮影部
   (株)京都放送(KBS京都)
所 属 城南郷土史研究会会員
諸団体 京田辺市郷土史会理事・京都地名研究会常任理事・
    京都民俗学談話会会員・京都府立山城郷土資料館会員
    などを歴任
専 攻 日本民俗学 郷土史 古代史 法律学
著 書 『稲作民俗の源流 ?日本・インドネシア-』
共 著 『京都の地名検証』『京都の地名検証2』
    『京都民俗』『筒城』ほか投稿
資 格 法学士 文学史 博物館学芸員 潜水士 PADIライセンス アマチュア無線技師 
E-mail koiy@leto.eonet.ne.jp
H P http://taketori.koiyk.com 


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■上記の『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き
    博物館での販売と「郵便振込」のみです、
     定価6000円+税→博物館特価5500円(税別) A5版 447ページ 
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郵便振込のみ合計6000円

『郵便振込』講座番号 00920-7-40389
             加入社名 小泉芳孝
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  ※お問い合わせは、ここへメールをお送り下さい。 

竹取物語』と「綴喜」ノート
  ―構想時のモデル地である可能性―
曽根誠一
   2012年度より 国際かぐや姫学会「Top」 に偏向になりました。『竹取物語』研究所 竹取の翁
注」
この原稿は、京田辺市郷土史会の機関紙『筒城』2002年3月30日発行の為、各所に「注」で最新情報を入れました。

河川のある部分をクリックして頂くと詳細が「ホームページ・YouTube」で御覧になれます。

      
 一  物語の舞台は筒木で京田辺市
 『竹取物語』は、いうまでもなく虚構文学作品である。歴史的事実として、過去のある時点で実際に起こった出来事を記した作品ではない。
だが、だからこそというべきか、物語は、過去の伝聞を表す助動詞「けり」を用いて、過去のある時点で実際に起こった出来事を語るのだと
いう形式を騙って語られる。すなわち、虚構であるが故に、事実あった出来事を語るという形式を取って、真実性の賦与を試みるのである。
 この具体例として、五人の求婚者の名前の問題を指摘できよう。夙に、加納諸平が『竹取物語考』(竹取物語古註釈大成 日本図書セン
ター 昭和54)で指摘しているように、『竹取物語』の五人の求婚者名と壬申の乱の功臣とに名前の一致が見られることは、留意される。そ
れを記せば、次の通りである。
  石作皇子 ― 丹比島
  庫持皇子 ― 藤原不比等
  阿部御主人 ― 阿部御主人
  大伴御行 ― 大伴御行
  石上麻呂足 ― 石上麻呂
 石作・庫持の両皇子の比定には、詳しい説明を必要とし、その詳細は、諸平『竹取物語考』について見ていただくことにして、今は、この二
人の皇子の名前は、難題の品「仏の御石の鉢」との関連から「石作」となり、「蓬莱の珠の枝」が金銀・真珠からなる高価な品物であることか
ら「庫持」となったという指摘に留めておきたい。
 また、名前がほぼ一致する残る三人の求婚者名については、片桐洋一氏(『新編日本古典文学全集 竹取物語他』解説 小学館 94年)が
指摘するように、『竹取物語』執筆時点までには没落してしまった氏族であり、彼らの難題入手の失敗過程を描くことによる政治批判に、如何
ほどの意味があったのであろうか。むしろ、彼ら壬申の乱の功臣三名の名前は、『竹取物語』の時代設定が奈良時代であることを明確にする
ために、意図的に用いられたのであろう。
 これ以外に、『竹取物語』の舞台設定が奈良であることを明確に証明するものとしては、次のような記述がある。
 ①名をば、讃岐の造となむいひける。(17頁、新編日本古典文学全集)
 ②この子いと大きになりぬれば、名を、三室戸齋部の秋田をよびて、つけさす。(19頁)
 ③…三年ばかり、大和の国十市の郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるを取りて…。
    (25頁)
 ①は、かぐや姫の養父となる竹取の翁の名前であり、「讃岐」は、氏族名称か地名のいずれかということになる。本文的にも、紹巴奥書本
では「さるき」(注」「さぬき」に同じ。「ぬ」は「る」に音訛すると一部の国ブナ学者や大手出版社は記しているが、歴史学者からはこじ
つけで「その節は消えた」とされている。

)、天理図書館武藤本では「さかき」とあって、分かれている。そこで、大和国にこの地名を捜すと、「広瀬郡散吉郷」(北葛城郡河合町)に
想到する。ここには、讃岐神社(延喜式)があり、ここを以て竹取の翁の居住地とするのが、従来の通説であった。(注」しすし、京田辺説が出てきて大手出版社説が消えてしまった。)

 ②は、かぐや姫の命名を「三室戸齋部の秋田」がしたというのだが、秋田の居住地「三室戸」については、新編日本古典文学全集本が指摘するように、『万葉集』九四番歌の「玉くしげ みもろの山の」について、「或本の歌に曰く、玉くしげ 三室戸山の」とあり、「ミムロトはミモロの在る所」(新編日本古典文学全集『万葉集』)の意とすると、「三室戸」も「みもろ」と同じことになり、三輪山(注」宇治に「三室戸」があり、そこに忌部氏がいたので、ここが通説になりました。)を指すのであろう。
 ③は、求婚者石作皇子が、かぐや姫には天竺に「仏の石の鉢」を取りに行くといって、実は「十市の郡」の小倉山に隠れていたというのである。偽物の「仏の石の鉢」を、その山寺から調達したというこの叙述で気になるのは、『竹取物語』の舞台が大和国であることは、既に明らかであると思われるのに、「大和の国十市の郡」と記していることである。物語の舞台が大和国であることを読者に意識させようとすれば、むしろ「大和の国」を省略して「十市の郡」とのみ記した方が、平安京に居住する読者には、効果的であったろう。(

注」「十市の郡」は難題の「インドのみいしの鉢」で出てくるだけであり、本来舞台は『竹取物語』が漢文で書かれた平安時代の初め嵯峨天皇の頃を想定しているのである。従来説は現存している『竹取物語』が「崩し字のひらがな」だったが、、良く読むと本来は漢文で書かれていたことが判明している。故に、弘法大師・空海説となつたのである)
 それ故に、「大和の国」は、元来「十市の郡」(磯城郡の一部)の右に記された「傍注」であり、それが本文化した可能性が高いのではあるまいか。
 以上、『竹取物語』中の地名乃至それに準ずる三例を通して、物語の舞台が大和国であることを述べた。これは、既に定説化していることであり、今後ともにこれが変わることはあるまい。
(「注」その後の調べで、5人の貴公子は壬申の乱で登場しているが、古事記に記す「かぐや姫」の父に「大筒木垂根王」がいて京田辺市普賢寺に古墳があり、古文書も代々伝えられた物もあり、「舞台が京田辺」だと言うことが判明した。故に、大手出版社が記している内容は間違っていることが判明した)

しかしながら、次節で述べるように、『竹取物語』の登場人物名を検討する時、この問題については、もう少し別の角度から捉え直すことが
できるように思われるのである。      

 二 かぐや姫と「さかきのみやつこ」と「筒木」(綴喜)
 かぐや姫という名前が命名された理由は、月の都から追放された光り輝く姫君であることによるのであろうが、この名前の出典を最初に指摘したのは、契沖の『河社』(契沖全集第十四巻 岩波書店 74年)であり、次のようにある。
  かくやひめの名は、古事記垂仁天皇段云、又娶大筒木垂根王之女迦具夜比賣、生御子袁邪弁王。これをかれる歟。 これを承けた田中大秀『竹取翁物語解』(竹取物語古註釈大成 日本図書センター 昭和54)は、更に、次のように記している。
  この指摘は、野口元大氏校注の日本古典集成本『竹取物語』(新潮社 昭和54年)でも、次のように継承されている。
   この系図を眺めていると、いろいろな連想に誘われる。事はただ「かぐや姫」という一名辞だけの問題ではないように思われてくるのである。まず、カグヤヒメの叔父の大筒木垂根王の娘なら、竹の筒から生れるという想像と結びつきやすいのではないか、そして、その先祖は竹野媛なのである。(中略)   なお、ここの大筒木垂根王以下三人の名は、『日本書紀』の方には見られない。作者は『古事記』によって迦具夜比売の名に逢着したと考えるべきであろう。
 この解釈は、雨海博洋氏訳注の旺文社文庫本『竹取物語』(80年)も、首肯している。 すなわち、かぐや姫と讃岐の造の名前が、『古事記』に基づいて命名されたと考えられる時、竹取の翁の家が構想の当初から広瀬郡散吉郷に設定されていたと考える蓋然性は、低くなるのではあるまいか。むしろ、迦具夜比売の父である大筒木垂根王の居住地である「大筒木」こそ、構想時点でのモデル地であった可能性が高いのではあるまいか。
 「大筒木」の所在地については、『古事記』中巻・開化天皇条に「又其の母の弟袁祁都比売命に娶ひて生める子、山代の大筒木真若王」(新編日本古典文学全集本、原漢文)とあり、山城国であることが知られる。
 また、石之日売が嫉妬に駆られて、奴理能美の家に滞在した時、口日売が歌った「山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも」(古事記下巻)から、奴理能美の邸宅は皇后の滞在に相応しい立派なもので、仁徳天皇も後日、石之日売を訪ねて行幸したところであり、それが「筒木」、すなわち、山城国の「綴喜」にあったことが知られるのである。
 この点、竹取の翁の家は、帝がかぐや姫の素顔を実見し、美麗であれば宮中に連れ帰ろうと意図して、御狩の行幸の途次、休憩に立ち寄った程の豪邸であった。『今昔物語集』巻三十一の竹取説話は、「居所ニ宮殿楼閣ヲ造リテ、ソレニ住ミ」「家ノ有様微妙ナルコト、王ノ宮ニ異ナラズ」と記している。竹取の翁の邸宅に匹敵するとも劣らない豪邸が、確かに存在したという点の類似性を以ていえば、翁邸の所在地に「筒木」は重なってくるのである。

(注」その後の調べで
筒木の天神社は歌垣
(求婚) ①竹取物語に通じる「カガヤク」場所  (『類聚名義抄』から解明
)2013.12.6
YouTube
動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY 
筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると、吉田金彦 名誉教授が見えられました。そして、三山木高木の天神山と天神社をご案内させて頂きました。日本の語源学の権威である吉田金彦 名誉教授が、天神社は男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると発表されました。この地域では、20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」が筒木に住んでいて竹取物語の舞台とされた所とされ有名になっている。

京都学派の重鎮 吉田金彦先生、『竹取物語』の場所は京田辺市山本、作者空海に合致!!
  京大国文「第110 訓点語学会」で画期的な発表!!
   訓点語学会HP  http://www.kuntengo.com/happyo.html
場所・日程2014.5.2513時半 於京大文学部 3講義室(吉田キャンパス内)
京大国文「第110 訓点語学会」での吉田金彦先生発表からレジュメ頂いた。
その研究発表内容によると題名は
  「名義抄「カガヤク(『求』の下に『糸』)」和訓のその後を追う―原作竹取物語と天神山について―
である。レジュメでは、小泉氏の『竹取物語』の場所は山本は地理的に有利、適合地で真実性がある。作者空海作は東寺の『類聚名義抄』歌垣をした場所で「求婚」というカガヤク」の字があり竹取物語に通じる語源「光りカガヤク」と合致!! 京田辺市三山木高木の天神山と天神社が歌垣をした場所で「求婚」を現して等の発表をされます。

詳細については、下記を御覧下さい。
110回訓点学会」で京都の重鎮 吉田先生が画期的な発表をされた。
京大国文「訓点学会」③ 『竹取物語』場所は筒木の山本と発表!
【YouTube】京大国文「第110回訓点学会」
 ① http://youtu.be/98oAJl-5wFU 館長が名義抄発表を取材! 
 ② http://youtu.be/IDqPkvEmw4M 『竹取物語』山本、作者空海
 ③ http://youtu.be/0s19NcmHOTs 『竹取物語』筒木の山本と発表!
 ④ http://youtu.be/8vu4RPjrk2Y 東寺の名義抄の発表直後に取材!
 ⑤ http://youtu.be/gy6QEh495Eo 総集編(名義抄・舞台・空海)
京大国文「第110回訓点学会」で京都の重鎮 吉田先生が画期的な発表をされた。
吉田先生は、『竹取物語』の舞台 山本が地理的に適合地で有利、真実性がある。「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。
 また、『竹取物語』の作者空海は、東寺にあった『類聚名義抄』(日本最古の辞典)に「カガヤク」の字あり、作者空海作は漢文で書いたのでは!?と、述べられた。
「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館」が取材 http://taketori.koiyk.com/
copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.
筒木の天神社は歌垣(求婚) ①竹取物語に通じる「カガヤク」場所  (『類聚名義抄』から解明)2013.12.6
YouTube
動画 http://youtu.be/qH-lA0qW0tY  

筒木の京田辺市三山木は、竹取物語の舞台とされたところで、まさに、この京田辺市三山木地域は、世界遺産にふさわしい場所であると、吉田金彦 名誉教授が見えられました。そして、三山木高木の天神山と天神社をご案内させて頂きました。
 日本の語源学の権威である吉田金彦 名誉教授が、天神社は男女の歌垣をした場所で「求婚」を現していると発表されました。この地域では、20数年前から地元の京田辺市郷土史会で古代史研究が続けられていて『古事記』に登場する「かぐや姫」が筒木に住んでいて竹取物語の舞台とされた所とされ有名になっている。
 京都学派の重鎮で語源学を長年続けられている吉田金彦さんは、京都大学の卒業論文で京都の東寺に残されていた『類聚名義抄』を研究され卒業論文に書いて研究を続けてこられた。そして、その成果を後輩の尽力で2013年5月に『古辞書と国語』臨川書店から出版された。
 この本の中には、竹取物語に通じる「カガヤク」という語源を「光りカガヤク」とされているが本来は「求める、さがす、求婚する」というのが元の語源の意味であると述べられ『竹取物語』で5人の貴公子が求婚に訪れることと深い関係があると述べられている。
 この『類聚名義抄』は、東寺にあった物で弘法大師・空海が開いた場所でもあり遣唐使で中国の長安へ行ったときに持ち帰り作られた可能性もある。
 京田辺市にある竹取翁博物館の小泉館長は、竹取物語の作者を空海と述べていて、その場所も京田辺市で密教寺院が多くあり深く関わっているのではないかとみておられます。
 その三山木の場所に天神社があり、その天神川の横にある天神山には、かつて天神社があって古く弥生時代の高地制集落が現在も存在する所(卑弥呼の邪馬台国の頃の遺跡)から『竹取物語に登場する恋愛の場所であった』
という重要な地域となるであろうとされ話題になっている。
「竹取物語かぐや姫サミット」には、かぐや姫美術館の山口館長さんが広島から参加頂きました。(上の写真右側)その時に7市町で「かぐや姫サミット」の地域間交流しているが、本命は京田辺市が発祥地だと断言された。

山口様は、京田辺舞台説を15年ほど前に聞いて見に来られ「きっちりとした説をお持ち」だとびっくりしてお帰りになられていた。
そのご縁で山口様が収集された「竹取物語の古本」の写真を今回の「サミット特別展示物」として提供して頂き会場で皆さんにみて頂きました。
 また、大阪・徐福友好塾主宰 代表鳥居貞義様(上の写真左側)からは、 「2周年おめでとう御座います。今後末永く続く為の基盤が出来たこととして誠に意義深いことと存じます。 (中略) 
 神話はどのような時代背景で生まれ、どのように伝搬したかが研究の対象となります。
 そのためには、竹取翁博物館のような施設が是非必要であり、それが民力すなわち、 民間人の力でできあがったことに敬意を表します。」という丁重なメッセージを頂きました。
平成26年(2014)2月1日 天の川七夕星まつりの会 代表 大阪・徐福友好塾主宰 鳥居貞義
 
竹取翁博物館で2014.2.1に開催された「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館シンポジウム」では、京都学派の重鎮で語源学の吉田金彦名誉教授から、「奈良・平安時代の歌垣(求婚)」について東寺に残されていた『類聚名義抄』を初披露されました。
 ■吉田金彦さん・・筒木の「竹取物語の舞台」説は正しく賛同する! 
『古事記』の「大筒木垂根王」と「大筒木真若王」の「筒木」は、継体天皇の筒木宮であり山城国のことである。
「迦具夜比売命(かぐや姫)」の「竹取物語の舞台」が京田辺市であるという貴方の説に賛同します。
吉田氏紹介-語源研究の第一人者。京都大学文学部卒業。専攻:国語国文学。京都府立女子短大教授、大阪外国語大学教授など歴任。姫路独協大学名誉教授。現在: 日本語語源研究会代表、京都地名研究会代表理事。著書:『日本語語源学の方法』
『古代日本語をさぐる』『古代日本語を歩く』『京都滋賀 古代地名を歩く』『ことばのカルテ』『埋もれた万葉の地名』他多数。
〈参考〉吉田先生の過去の研究発表(HPバックナンバーから)
 ・ 類聚名義抄の「?」の和訓イシマについて   吉田金彦
  ・「かたびら」の謎  ―地名と訓点語はなぜ共用されたか   
  ・家持の語法 ―「心つごく」は歌語か訓点語か― 
  ・憶良の語法 ―くれくれと― 
「国際かぐや姫学会」 http://taketori.koiyk.com/
 copyright(C)2013 World Meeting Corp Kaguya-hime Japan Kyoto All Rights Reserved.

 同様の状況証拠を指摘すれば、帝は、翁邸にかぐや姫を実見しに行く口実として、御狩の行幸を提案する時、「みやつこまろが家は山もと近かなり」と発言する。「山もと」については、『続日本紀』和銅四年条に「丁未。始置都亭駅。山背国相楽郡岡田駅。綴喜郡山本駅」とあって、当時既に「山本」という地名が存在したことが知られる。そうした地名が存することは、そこが京田辺市にある甘南備山のご神体山、大住隼人の「月読神社」の山麓に位置する土地であることを意味しており、「筒木」は「山もと近かなり」という条件を満たす地域であることが知られるのである。
 また、既に本田義憲氏「かぐや姫の家」(叙説 昭和54年)が詳述されているが、かぐや姫の故郷である「月」と関わりのある、「月神」を祀る式内社が山城国に三社あり、そのうちの「月読神社」「樺井月神社」の二社が綴喜郡に祀られている。そして、南山城地域で「月神信仰」が盛んであったことを、史料を捜して述べておられる。こうしたことも、かぐや姫と竹取の翁の出会いが構想された地として、「綴喜」の方が相応しい
ことの傍証にはなるであろう。
 以上、(注」大手出版社が過去に述べられていることが間違っている。)既に指摘されていることを主として整理しながら、竹取の翁の居住地は、翁と姫の命名の経緯から判断して、「綴喜」がモデル地であった可能性について、状況証拠を三点指摘してみた。
 すべては、今後の状況証拠の積み上げ、換言すれば、古代における「綴喜」の位置と役割の解明にかかっているのであり、そのための契機となることを願って、大雑把なまとめを試みたに過ぎない。
       三 作者と『古事記』
 尚、一点だけ、補記しておきたい。
 それは、『竹取物語』の作者が、翁と姫の名前を『古事記』から引用した問題である。平安期において、正式の歴史書は『日本書紀』(注 『日本書紀』は再版では間違いが多いと指摘され『古事記』の方が正しいといわれている)であり、『古事記』が参看されることはあまりなかったようである(『古事記』の注釈書である『古事記裏書』は、十四世紀の成立)。
 物語の作者層は、男性知識人であり、『竹取物語』の作者も、五人の求婚者に与えた難題や女仙伝の記述を踏まえた叙述から判断して、大学寮で学んだ人であることは疑いない。当時、史書としての『古事記』の位置付けが低かったことは、間違いないが、接触の場が全くなかったともいえまい。その辺りの状況が掴みにくいのだが、『古事記』が注目される契機となる出来事の一つに、「読日本紀」、すなわち『日本書紀』の講筵が考えられよう。これは、「先朝之故事」を学ぶために、公卿殿上人を対象として、嵯峨天皇の弘仁三(812)年よりおおよそ三十年ごとに、数年をかけて実施された。(注」竹取翁博物館では、嵯峨天皇に慕われた弘法大師・空海が作者と主張している)
 実施開始年は、承和十(843)年、元慶二(878)年、延喜四(904)年、承平六(936)年、康保二(965)年であり、『竹取物語』の推定成立時期である貞観年間(859)から延喜九(909)年を重ねると、元慶二(878)年、延喜四(904)年が重なってくる。時期的には、元慶二(878)年の方が妥当性が高いようにも思われるが、その頃大学寮に学んだ人物を調べると、紀長谷雄がいる。これまでも、『竹取物語』の作者に擬せられてきた
が、貞観十八(876)年文章生、元慶五年文章得業生になっている。
 こうした長谷雄の経歴と、『日本書紀』の講筵を準備し、担当したのが、大学寮の構成員であることを勘案する時、準備に従事する過程で、補助史料として『古事記』を手にした可能性は、十分考えられてよいように思われるのであるが、如何であろうか。(そね・せいいち/花園大学教授)

追記

木花咲耶姫を主祭神と祀る浅間神社の総本社・富士山本宮浅間大社

静岡県富士市

o    物語の結末で、富士の山(士に富む山)が登場することと、かぐや姫が月ではなく富士山に帰ったという富士市説から麓の富士市にある竹林を由来としている。また、竹取物語と類似の話が富士山本宮浅間大社富士宮市)の縁起として伝えられており、祭神の木花咲耶姫がかぐや姫のモデルだとする説もあるが、祭神を木花咲耶姫に擬するのは近世からともされる。

東京と富士市を結ぶ高速バス、かぐや姫エクスプレスの車体ロゴ

富士市にあるマンホールのフタ。

·         京都府向日市竹の子の里であり孟宗竹が多い。孟宗竹は江戸時代からのものである。

奈良県広陵町讃岐神社拝殿

奈良県広陵町

o    竹取の翁は「讃岐の造(さぬきのみやつこ)」と呼ばれていることから、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷(現奈良県北葛城郡広陵町三吉)と考えられている。また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定される藤原京から十分通える距離であり、「竹取物語ゆかりの神社」と称する讃岐神社も鎮座している。

奈良県高取町

o    古代歴史の舞台である飛鳥や藤原京の南に位置する高取山は、中世には高取城がそびえたち、現在も立派な石垣が残っている。この高取山が、竹取の翁が住んでいた場所だという説がある。鎌倉時代に僧・仙覚が、江戸時代にも国学者・契沖が、「竹取」は「タカトリ」と読み、高取山が竹取説話の舞台であるという説を唱えている。

·         岡山県真備町(現倉敷市

·         広島県竹原市

·         香川県長尾町(現さぬき市

·         鹿児島県宮之城町(現さつま町

·         滋賀県長浜市木之本町の辺りは、日本最古の羽衣伝説の舞台となった余呉湖や、背後の山の字名が「香具山」と呼ばれる伊香具神社(いかぐ)、石作の皇子を連想させる石作神社、月を連想させる高月町といった、竹取物語に登場する事物に関係するような神社や地名が多数点在する。また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定される近江大津京から、馬を乗り継ぐ等すれば通えなくはない距離である。

海外の類話とそれに関する諸説[編集]

アバ・チベット族「斑竹姑娘」との関連[編集]

斑竹姑娘」も参照

竹取物語に似た日本国外の民間伝承としては、例えば中華人民共和国四川省アバ・チベット族に伝わる「斑竹姑娘」(はんちくこしょう)という物語[31]がある。内容は、竹の中から生まれた少女が、領主の息子たちから求婚を受けたが難題をつけて退け、かねてより想いを寄せていた男性と結ばれるという話だが、中でも求婚の部分は宝物の数、内容、男性側のやりとりや結末などが非常に酷似している。

伊藤清司(東洋史[32])は、原説話が日本とアバ・チベット族に別個に伝播翻案され「竹取物語」と「斑竹姑娘」になったとした[33]。これに対し、益田勝実(日本古代文学[34])は、『金玉鳳凰』収載の「斑竹姑娘」の改訂過程への疑問と翻案説に賛成しないとした[35]

近年の研究では、奥津春雄(国文学[36])はむしろ「斑竹姑娘」の方が「竹取物語」の翻案であるとしている[37]



刊行本[編集]

·         タイトル=竹取物語で検索国立国会図書館デジタルコレクション

原文・校注[編集]

流布本系

·  日本古典文学大系 9 竹取物語 伊勢物語 大和物語』 阪倉篤義校訂 岩波書店 195710

· 『竹取物語』 阪倉篤義校訂 岩波文庫1970年、ISBN 4003000714

·  日本古典文学全集 8 竹取物語、伊勢物語大和物語平中物語』 片桐洋一校訂 小学館 197212

· 新潮日本古典集成 竹取物語』 野口元大校注 新潮社 19795 ISBN 978-4-10-620326-8

·  『新編日本古典文学全集 12 竹取物語、伊勢物語、大和物語、平中物語』 片桐洋一校訂 小学館 199412

· 『新日本古典文学大系 17 竹取物語 伊勢物語』 堀内秀晃校訂 岩波書店 19971 ISBN 978-4-00-240017-4

古本系

·         『日本古典全書 竹取物語・伊勢物語』 南波浩校注 朝日新聞社1960

·         『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』 上原作和安藤徹外山敦子編 武蔵野書院 201210 ISBN 978-4-8386-0647-4

現代語訳[編集]

·         『完訳日本の古典 10 竹取物語、伊勢物語、土佐日記』小学館 1983

·         『竹取物語』 星新一訳 角川文庫1987年、ISBN 404130315X

·         『現代語訳 竹取物語』 川端康成訳 河出文庫201311

解説書[編集]

·         『竹取翁物語解』 田中大秀著 松屋書店、明治28年(1895年)(『竹取翁物語解 - 国立国会図書館

出典・補注[編集]

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1         ^天理大学附属天理図書館所蔵、重要文化財『竹取物語』、天正廿年林鐘下旬中院通勝書写奥書

2         ^阪倉篤義「竹取物語」岩波文庫1970 pp.. 91-93

3         ^高山市図書館ではなく高山市郷土館の方である。田中大秀が所蔵していたもの。

4         ^南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社1960 pp.. 36-40

5         ^古筆学研究所編「古筆学のあゆみ」八木書店1995 pp..119-120

6         ^関根賢司髙橋亨「竹取物語辞典」(「新編竹取物語」おうふう2003年)

7         ^武藤本(1-1)・高山図書館本(1-1)・武田本(1-2)・島原本(2)・蓬左文庫本(3-1)・吉田本(3-1)等に「さかき」。山岸本(流1-3)・群書類従本(3-2)に「さぬき」。他流布本、並び古本に「さるき」。

8         ^南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社1960 pp.. 141

9         ^この物語には「三」という数字が頻出する。

10     ^三室戸斎部とも。斎部氏は朝廷の祭祀を司る氏族。

11     ^なよ竹は「しなやかな竹」という意味で、ちらちらと揺れて光ることを「かがよう」という。

12     ^ abcdef 片桐洋一・福井貞助・稲賀敬二 『日本の古典をよむ 6-竹取物語・伊勢物語・堤中納言物語』 小学館、2008年。

13     ^「夜這い」の語は本来結婚を求める「呼ぶ」に由来する言葉とされている。ここでは「夜に這い回る」を語源とする新解釈を創作している。

14     ^神仏が人の形をとって顕現した姿、または化物の類。

15     ^「鉢を捨てる」と「恥を捨てる」。

16     ^「玉(玉の枝)が悪い」と「魂(性質)が悪い」。

17     ^「阿部なし」と「敢へなし」("敢えない"、張り合いがない)。

18     ^「あな食べ難」(ああ食べにくい)と「あな堪へ難」(ああ耐え難い)。

19     ^「貝無し」と「甲斐なし」。

20     ^『年を経て浪たちよらぬ住吉のまつかひなしときくはまことか』。"幾年も経って浪が打ち寄せなくなった住吉の浜の「松」のように待っていたのに「貝がない」なら、「待つ」「甲斐がない」と聞くけれど、本当なの?"

21     ^「かひはなく有りける物をわびはててしぬる命をすくひやはせぬ」。"かい(貝・甲斐)は無かったけれど、思い悩んで死んでいく命を、かい(匙)で掬うように、救ってはくれないのか"

22     ^人間界での長い年月は天人にとって僅かな時間に当たる。

23     ^周囲を壁で塗り籠めた部屋。

24     ^未熟者。天界と人界では時の感覚が異なり、翁といえど「幼き人」。あるいは単に「幼稚」(=愚かな)の意味か。

25     ^最後だと、天の羽衣を着るまさにその時に、ふとあなたをしみじみと思い出してしまうものね。

26     ^月世界への思いを表現する仕事に相応しい氏。新井本(2)「いはかど」。その他流布本「いはかさ」。

27     ^上原作和安藤徹外山敦子編『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』武蔵野書院 pp.. 105

28     ^富士の山(士に富む山)」と「不死の山」。これは適当でないという説もある。

29     ^[1]孫崎紀子「『竹取物語』のかぐや姫はイラン人だった」,現代ビジネス、近藤大介「北京ランダム・ウォーカー 革命から33周年 過去10年で最高の危険水域に達しているイランの危機」2012213日で紹介されている。

30     ^関裕二著『古代史謎解き紀行 I ヤマト編』ポプラ社2006

31     ^田海燕編『金玉鳳凰』(少年児童出版社、中華人民共和国・上海、1961年)に収載/邦訳:田海燕編・君島久子訳『チベットのものいう鳥』(岩波書店、1977年)

32     ^慶應義塾大学名誉教授で東洋史専門

33     ^『かぐや姫の誕生 古代説話の起源』(講談社、1973年)

34     ^法政大学教授で古代文学専門

35     ^論文「「斑竹姑娘」の性格『竹取物語』とのかかわりで」(『法政大学文学部紀要』331987年)

36     ^徳島文理大学教授で国文学専門

37     ^『竹取物語の研究達成と変容』(翰林書房、2000 ISBN 9784877370978)の第六章「斑竹姑娘と竹取物語」

38  『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き 小泉芳孝著「大筒木出版」2012年2月(平成24年)発行 ISBN 9784905524007


関連文献
[編集]

·         野村純一他編著『昔話・伝説小事典』、みずうみ書房刊、ISBN 4838031084

·         関裕二著『古代史謎解き紀行 I ヤマト編』、ポプラ社2006年、ISBN 978-4591091920

·         原田実著『トンデモ日本史の真相 と学会的偽史学講義』、文芸社、2007年、ISBN 978-4-286-02751-7109-112

関連項目[編集]

·         日本の中古文学史

·         物語/ 作り物語

·         羽衣伝説

·         讃岐神社

·         竹林

·         かぐや(月周回衛星)

·         かぐや姫エクスプレス- 東京~富士間を走る高速バス

·         かぐや姫号- 広島~東広島・竹原を走る高速バス


·         富士かぐや姫茶漬け- 富士市のご当地グルメ

·         1929年、古関裕而は管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』を作曲、イギリスのロンドン市のチェスター楽譜出版社の作曲コンクールに応募し入賞。これは日本人初の国際的作曲コンクール入賞作品で報道もされた(現在その楽譜は失われたとされる)。

·         竹取物語 (室内楽曲)- 日本人作曲家貴志康一が、1933年に作曲したヴァイオリンとピアノのための楽曲。

·         新竹取物語 1000年女王

·         竹取物語 (1987年の映画)

·         かぐや姫の物語- スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画。高畑勲監督。

·         隼人

·         桃太郎伝ハドソン製作のゲーム。ゲーム中、5つの難題を基にしたクエストがある。

外部リンク[編集]

ウィキソースに竹取物語の原文があります。

 

ウィキクォートに竹取物語に関する引用句集があります。

 

ウィキブックスに竹取物語関連の解説書・教科書があります。

 

ウィキメディア・コモンズには、竹取物語に関連するカテゴリがあります。

·         本の万華鏡 137回常設展示 「竹取」物語国立国会図書館リサーチ・ナビ

テキスト・解説[編集]

·         竹取物語(國民文庫)、日本古典文学テキスト

·         『古典に親しむ』-「竹取物語」【ふじの煙】全文訳(意訳あり)

·         バージニア大学図書館(日本語テキスト・イニシアティヴ

o    竹取物語

o    万葉集 第十六巻

·         『竹取物語』への招待、物語学の森

o    古本 竹取物語〈新井信之旧蔵『竹取物語』校訂本文〉

·         『竹取物語』を読む

·         かぐや姫考-原田実の幻想研究室より

写本[編集]

·         鶴見大学図書館貴重書解説図録

o    竹取物語断簡(伝後光厳天皇筆)図版解説

絵巻・奈良絵本[編集]

·         『竹取物語』の絵巻や奈良絵本について

·         龍谷大学電子図書館貴重書画像データベース

o    竹取物語(奈良絵本)

o    竹取物語(奈良絵本)中川文庫本

o    竹取物語[奈良絵本]、「歌書と奈良絵本」展

·         竹取物語、国立国会図書館貴重書画像データベース

·         竹とり物語九州大学附属図書館所蔵貴重資料画像データベース

·         竹取物語絵巻 第一巻國學院大學図書館デジタルライブラリー

·         竹取物語絵巻諏訪市博物館

自治体関連[編集]

·         かぐや姫情報広陵町

·         富士市に伝わるかぐや姫伝説富士市

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